2005.
10.
27

今日は、打ち合わせで、大学生にキャリア論的な視点でどのようにメッセージを伝えるか?ということを考える機会を得ました。
久しく大学生チャンネルでものを考えていなかった(自分が大学生の時って、何をどのように考えていたのだろうか、というチャンネル)ため、とっさに大学生の目線にあわせたものの伝え方ということがイメージできませんでした。
思い起こしてみると、私が短大の時には、まずは社会に出て、働いてお金を貯めて、そして大学にもどって3年次に編入学しよう、と思っていました。
短大では、かねてより学びたかった国文学を選考していましたから、学問そのものも愉しいものでした。卒論を書き上げた時には、余りにも面白く充実していたため(もちろん、骨は折りましたが、ひとつのことを追求することが好きなようです)何夜も徹夜して書き上げたくせに、この後何本でもこのような論文を書きたい、と思ったものです。
世の中が売り手市場だったので、就職先はこちらから選べるほどでした。買い物をするように企業を選んだ、というほどモノのあふれたバブル期日本に、採用側の大手企業があふれていました。
さまざまな業界を検討した結果、女性の平均勤続年数が長い職場に就職しました。勤続年数が長いということは、働き易い職場であり、それなりに仕事が任せられるためであろうという判断でした。一先目で合格したので、あっという間に就職活動は終わりました。
何と恵まれた就職活動だったことでしょうか。
しかし私の場合、その後で自己分析が始まります。「私とは何か?この職場で大切にしていることより、もっと大切なことが世の中にあるのではないか?」と自己を探し続けることになりました。
コミュニケーションは「何を伝えたか」ではなく、「何が伝わったか」だとよく言われます。伝え方には工夫の余地がたくさんありますね。
人生の目標の建て方や、計画の建て方など、ものの把握の仕方や、考え方のパターンなども人により様々です。
素敵な先輩方に囲まれて、またいきいきした20代の人とともに、今日はとても学びとなる時間を過ごしました。
「大」つながりで、大仏さまの絵です。
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