2008.
07.
20
自分自身に心の中で焦点が当たっているとき、自分の周りの世界のことを、私たちは認識できていないかもしれません。
あるいは「エゴ」という言い方もできるかもしれません。
そして、誰かに対して、何かに対して全身全霊で関わっているとき、わたしたちは、自分がどう見られているかということや、自分の心を満たすことに、焦点が当たっていないのではないでしょうか。
そんな、エゴのない状態で、誰かに関わっている姿勢が、心を打つ時間でした。
NLPラーニング マスタープラクティショナーコース第2講、カウンセリング・セッション。
「愛するとは、自分を超えることである」
という言葉があります。
始めて読んだ高校生のときには、余り意味が分かりませんでした。
「自分を超える」とは
どんなことなのでしょうか。
それは、もっとも難関な壁を越えることでもあるのかもしれません。
そして、案外知らないうちに、無意識のうちに超えることができていて、振り返ったときに気付くものなのかもしれません。
これまでも、何度か私は、それまでの私だと認識していた「私」を、あえて蹴破って、乗り越えて、外に飛び出してきたようにも思います。
そして、まだ、これからも超えていくべき「私」があるのだろうと思います。
「自分を超えて、誰かのために」
「本当の自分自身になる」ことと同時に、マスタープラクティショナーコースで見出していく道でもあります。
受講者の方々と共に、また、わたしも、超えて行きたいと思います。
今日マスタープラクティショナーコースで行った、一貫性をもたらすワーク。1年後も4年後も、30年後も、ずっと先まで続く何かに繋がっていて欲しいと心から願います。
そして私も更に深くへと分け入っていきたいと思います。
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