2008.
02.
20
ある人と話をしていて、ああ。そうか。と思いました。
ヒトデをひとつずつ、海に返している人の物語があります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ある朝早く、1人の男が打ち寄せる波を見ながら海岸を歩いていると、数え切れないくらいのヒトデが砂浜に打ち上げられて日干しになって死にかけていることに気がついた。その異常な光景にしばし茫然としていると、ふと遠くの方で若い女性が一つ一つそのヒトデを拾い上げては海に向かって投げ返している姿が眼に入る。男はその女のところまで近づいていき、こう声をかけた。「そんなことしたって時間の無駄じゃないか。こんなにたくさんのヒトデがあるのに、そんなことをしていったい何の意味があるんだい?」すると、その女は足元にあったヒトデを一つ拾い上げると、思い切り海に向かって投げ返し「あのヒトデにとっては意味があったわ」と言ってさらに足元にある別のヒトデに手を伸ばした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この物語を読んで、ああ、本当にそうだなあ。と思いました。千里の道も一歩から。何もしないよりは何かをした方がいい。あまりの多さに圧倒されてただ茫然と眺めているよりも。
そんな事を感じた覚えがあります。
この話を知っている私たちが海に行って、そのシーンに出会ったとしたら、
あなたはどうするでしょうか?
その人と一緒になって、ひとつずつ、黙々とヒトデを海に投げ返すことを手伝うと、私は以前は思っていました。
そして今回、改めて、私は違う立場から、ヒトデに関わることが分かりました。
同じ角度から関わるよりも、さまざまなアプローチから関わる方が有効にも思います。
私の関わり方は、こんな風です。寓話、メタファーとして、お読み頂けましたら幸いです。
拡声器を持って、浜に立ち、ヒトデに言います。
「みなさん!あなたたちは、自力で海に帰れるんです。
海岸に打ち上げられたからと言って、これから先の人生をあきらめないで下さい。
あなたたちには、自分で立ち上がって、そしてどこへ行くのか選択する力があります。
自分で行きたいところへ行く事ができるんです。
浜で干上がることを選択したいですか?
それとも、自分の意志で、好きな海で過ごすことを選択したいですか?
あなたは、どんな海で、どんな魚や海の生き物たちと過ごすのかを選択できる存在です。
どんな日当たりの、どんな暖かさの海にいるのかを選択できます。
どんな気持ちで過ごすのかを、あなたは選択できるんです!
無力感を感じる必要はありません。
あなたには、力があります。
多くのヒトデがこのような状況なのだから、仕方がないと思っているとしたら、
どうか考え方を変えてみて下さい。
ただ、自ら意志を持って、「自らの選択で生きる」、と決めるだけです。
ためしに一部分だけでも、砂浜から離れてみてください。
一部分だけでも、動かす事ができましたよね?
海に帰ったときの、生き返ったような、いきいきした様子を想像してみてください。
そのことを想像すると、何が見え、何が聞こえ、何を感じているのでしょうか?
そうです。
自分の意志で動かせるんです。自分は自分で変えられます。
ただ選択するだけです。
そして、海に帰ったときに、考えてください。
あなたは、何者なのかを。
あなたが果たす役割は、何であるのかを。」
そして、楽しく海に帰るための、ワークをヒトデといっしょにすると思いました。
そして次に、ヒトデに関わるヒトデを育てると思いました。
そしてわたしも、自分が何者であるのかを問い続けているヒトデだと思います。
私はこんな風に、尊敬する方々に関わってもらったことがありました。
その人の意志を引き継いで、私の活動をして行こうと思います。
ヒトデをひとつずつ、海に返している人の物語があります。
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ある朝早く、1人の男が打ち寄せる波を見ながら海岸を歩いていると、数え切れないくらいのヒトデが砂浜に打ち上げられて日干しになって死にかけていることに気がついた。その異常な光景にしばし茫然としていると、ふと遠くの方で若い女性が一つ一つそのヒトデを拾い上げては海に向かって投げ返している姿が眼に入る。男はその女のところまで近づいていき、こう声をかけた。「そんなことしたって時間の無駄じゃないか。こんなにたくさんのヒトデがあるのに、そんなことをしていったい何の意味があるんだい?」すると、その女は足元にあったヒトデを一つ拾い上げると、思い切り海に向かって投げ返し「あのヒトデにとっては意味があったわ」と言ってさらに足元にある別のヒトデに手を伸ばした。
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この物語を読んで、ああ、本当にそうだなあ。と思いました。千里の道も一歩から。何もしないよりは何かをした方がいい。あまりの多さに圧倒されてただ茫然と眺めているよりも。
そんな事を感じた覚えがあります。
この話を知っている私たちが海に行って、そのシーンに出会ったとしたら、
あなたはどうするでしょうか?
その人と一緒になって、ひとつずつ、黙々とヒトデを海に投げ返すことを手伝うと、私は以前は思っていました。
そして今回、改めて、私は違う立場から、ヒトデに関わることが分かりました。
同じ角度から関わるよりも、さまざまなアプローチから関わる方が有効にも思います。
私の関わり方は、こんな風です。寓話、メタファーとして、お読み頂けましたら幸いです。
拡声器を持って、浜に立ち、ヒトデに言います。
「みなさん!あなたたちは、自力で海に帰れるんです。
海岸に打ち上げられたからと言って、これから先の人生をあきらめないで下さい。
あなたたちには、自分で立ち上がって、そしてどこへ行くのか選択する力があります。
自分で行きたいところへ行く事ができるんです。
浜で干上がることを選択したいですか?
それとも、自分の意志で、好きな海で過ごすことを選択したいですか?
あなたは、どんな海で、どんな魚や海の生き物たちと過ごすのかを選択できる存在です。
どんな日当たりの、どんな暖かさの海にいるのかを選択できます。
どんな気持ちで過ごすのかを、あなたは選択できるんです!
無力感を感じる必要はありません。
あなたには、力があります。
多くのヒトデがこのような状況なのだから、仕方がないと思っているとしたら、
どうか考え方を変えてみて下さい。
ただ、自ら意志を持って、「自らの選択で生きる」、と決めるだけです。
ためしに一部分だけでも、砂浜から離れてみてください。
一部分だけでも、動かす事ができましたよね?
海に帰ったときの、生き返ったような、いきいきした様子を想像してみてください。
そのことを想像すると、何が見え、何が聞こえ、何を感じているのでしょうか?
そうです。
自分の意志で動かせるんです。自分は自分で変えられます。
ただ選択するだけです。
そして、海に帰ったときに、考えてください。
あなたは、何者なのかを。
あなたが果たす役割は、何であるのかを。」
そして、楽しく海に帰るための、ワークをヒトデといっしょにすると思いました。
そして次に、ヒトデに関わるヒトデを育てると思いました。
そしてわたしも、自分が何者であるのかを問い続けているヒトデだと思います。
私はこんな風に、尊敬する方々に関わってもらったことがありました。
その人の意志を引き継いで、私の活動をして行こうと思います。
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