2007.
12.
20
示唆に富む一日でした。
現代催眠講座最終日で、先生のお話から、随分刺激を受け、ひらめきがありました。
「日本人は特に世間体に囚われがちである。
外側を整えることをまず行う。内面は後、もしくは手をつけない。」
このような先生のお言葉から、あることをひらめきました。
それは、私の今後行って生きたいプロジェクトについてのひらめきでした。
これについては、また活動し始める頃に、詳しく書かせていただきます。
その後、受講されていた皆さんと、お食事をともにしながら過ごしました。
そのときに出た会話です
「大江さんは、NLPのトレーナーをする前は、何をされていたんですか?」
私「コーチングですよ。今もしているけど、パーソナルコーチング、研修やワークショップ、コーチ養成校のインストラクターをしてたんです。」
「その前は何をしていたんですか?」
私「銀行員です。」
「へー。」と、たいていの方はここで驚かれます。
見た感じ、接した感じが銀行員ぽくないのでしょうね。。
私も勤めながら、随分私の性分に合わない仕事だなあ、と思う部署が多くありました。^^;
その後コーチングとの出会いと、コーチになるいきさつを話しました。
このあたりはちょっと割愛します。
そして相手の方が言いました。
「天職に出会われたということですね。」
このとき、わたしは、あ、そうじゃないなあ。と感じました。
つまり、「出会う」というのはどちらかというと、受動的な印象が私にはあって、向こうから訪れてきた部分もあるような表現ですが、私がコーチになったのは、そういう受動的なものではなかったなあという気がします。
コーチングの基本前提、コーチとして何を信じて人と関わるか?という言葉に出会ったときに、「これだ。この考えが当たり前のように社会のすみずみにまで浸透していたらいい!この考え方を広める!」
と決めました。
「人は無限の可能性を持っている」
「その人が必要とする答えは、その人の中にある」
この価値感、信条に出会ったときに、そうそう!!
と、いたく共感して、これを広めるんだ。と思いました。
これは、私の場合は決して「天職と出会う」という感覚ではなかったなあと思うのです。
ただたんに「これをする」と、決意した。そして行動した、というだけのことです。
今は、したいことをして過ごす毎日です。
しかしこれは職業なのでしょうか?社会的には「職業」というカテゴリに入るかもしれませんが、わたしとしては、単にしたいことをしているだけのことです。。
では「したいこと」とは何か?というと、ミッションにつながる事とでもいうのでしょうか。考えるより先に衝動的に動くこと。社会に対しての疑問やもう少しこうなったらいいなということに対してのアクション・・?
いえ、私が生まれてきた意味につながっているのかもしれません。。
何か大げさになってきました。
なりたい状態になれない、と思っている方は、ほんとうに「これをする」という深い部分からの衝動が自分の中にあるかどうか自分自身に尋ねて見られてはいかがでしょうか。
心の深いところで決意した事は、一部の例外を除いて周りの環境も動き始めてその実現を助けてくれる。そのように実感しています。
そして、改めて強く実感できる一年でした。。
現代催眠講座最終日で、先生のお話から、随分刺激を受け、ひらめきがありました。
「日本人は特に世間体に囚われがちである。
外側を整えることをまず行う。内面は後、もしくは手をつけない。」
このような先生のお言葉から、あることをひらめきました。
それは、私の今後行って生きたいプロジェクトについてのひらめきでした。
これについては、また活動し始める頃に、詳しく書かせていただきます。
その後、受講されていた皆さんと、お食事をともにしながら過ごしました。
そのときに出た会話です
「大江さんは、NLPのトレーナーをする前は、何をされていたんですか?」
私「コーチングですよ。今もしているけど、パーソナルコーチング、研修やワークショップ、コーチ養成校のインストラクターをしてたんです。」
「その前は何をしていたんですか?」
私「銀行員です。」
「へー。」と、たいていの方はここで驚かれます。
見た感じ、接した感じが銀行員ぽくないのでしょうね。。
私も勤めながら、随分私の性分に合わない仕事だなあ、と思う部署が多くありました。^^;
その後コーチングとの出会いと、コーチになるいきさつを話しました。
このあたりはちょっと割愛します。
そして相手の方が言いました。
「天職に出会われたということですね。」
このとき、わたしは、あ、そうじゃないなあ。と感じました。
つまり、「出会う」というのはどちらかというと、受動的な印象が私にはあって、向こうから訪れてきた部分もあるような表現ですが、私がコーチになったのは、そういう受動的なものではなかったなあという気がします。
コーチングの基本前提、コーチとして何を信じて人と関わるか?という言葉に出会ったときに、「これだ。この考えが当たり前のように社会のすみずみにまで浸透していたらいい!この考え方を広める!」
と決めました。
「人は無限の可能性を持っている」
「その人が必要とする答えは、その人の中にある」
この価値感、信条に出会ったときに、そうそう!!
と、いたく共感して、これを広めるんだ。と思いました。
これは、私の場合は決して「天職と出会う」という感覚ではなかったなあと思うのです。
ただたんに「これをする」と、決意した。そして行動した、というだけのことです。
今は、したいことをして過ごす毎日です。
しかしこれは職業なのでしょうか?社会的には「職業」というカテゴリに入るかもしれませんが、わたしとしては、単にしたいことをしているだけのことです。。
では「したいこと」とは何か?というと、ミッションにつながる事とでもいうのでしょうか。考えるより先に衝動的に動くこと。社会に対しての疑問やもう少しこうなったらいいなということに対してのアクション・・?
いえ、私が生まれてきた意味につながっているのかもしれません。。
何か大げさになってきました。
なりたい状態になれない、と思っている方は、ほんとうに「これをする」という深い部分からの衝動が自分の中にあるかどうか自分自身に尋ねて見られてはいかがでしょうか。
心の深いところで決意した事は、一部の例外を除いて周りの環境も動き始めてその実現を助けてくれる。そのように実感しています。
そして、改めて強く実感できる一年でした。。
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