2018.
04.
27
鳥居をくぐると驚くほど急勾配の階段。熊野三山の神が降臨された地と言われる、大きな岩、ゴトビキ岩が御神体の神倉神社。
「くら」とは神の鎮座する場所、という意味があります。
岩は立派で古来からの知恵をたたえた賢者のように神々しく、海と街を見下ろす見晴らしのいい地点に佇んでいました。
それにしてもあまりに急な階段だったので、たまにすれ違う方と「すごいですよね」と声を掛け合いながら、怖いので四つ足になって登り降りしました。
途中、毎日登っていますという年配の女性と会いました。その信仰心と健脚ぶりに驚きました。
東京で暮らしていても、近くの神社に参拝すると、日常的に参拝されている方をよく見かけます。しかしこの急こう配の危険な石段を毎日登られるのは、中途半端な気持ちではできないなと思いました。
移動のために乗ったタクシーの運転手さんもこの神社の一番大きな火祭りに若いころから毎年出ておられるそうです。
この地区に限らず、日本中どこでも神社やお寺を中心としたコミュニティがあって、土地の神様を崇め、感謝するお祭りを行い、土地とつながる暮らしをしてきている。
土地に感謝しつながること、自然とのコ・クリエーション(共創造)が当たり前であったことと思います。
今、この感覚、土地に感謝し土地とコ・クリエーション(共創造)することを再び思い出す時でもあるように感じています。特に東京などの都市部で、ということかもしれませんが。
この地区の緑の濃さは半端ないです。





「くら」とは神の鎮座する場所、という意味があります。
岩は立派で古来からの知恵をたたえた賢者のように神々しく、海と街を見下ろす見晴らしのいい地点に佇んでいました。
それにしてもあまりに急な階段だったので、たまにすれ違う方と「すごいですよね」と声を掛け合いながら、怖いので四つ足になって登り降りしました。
途中、毎日登っていますという年配の女性と会いました。その信仰心と健脚ぶりに驚きました。
東京で暮らしていても、近くの神社に参拝すると、日常的に参拝されている方をよく見かけます。しかしこの急こう配の危険な石段を毎日登られるのは、中途半端な気持ちではできないなと思いました。
移動のために乗ったタクシーの運転手さんもこの神社の一番大きな火祭りに若いころから毎年出ておられるそうです。
この地区に限らず、日本中どこでも神社やお寺を中心としたコミュニティがあって、土地の神様を崇め、感謝するお祭りを行い、土地とつながる暮らしをしてきている。
土地に感謝しつながること、自然とのコ・クリエーション(共創造)が当たり前であったことと思います。
今、この感覚、土地に感謝し土地とコ・クリエーション(共創造)することを再び思い出す時でもあるように感じています。特に東京などの都市部で、ということかもしれませんが。
この地区の緑の濃さは半端ないです。





スポンサーサイト
NEXT Entry
NEW Topics