2014.
07.
23
フィリピン人の英語の先生は、男女ともにいますが、女性は若い人が多いです。
彼女たちは、大学院を出ていたりして非常に優秀で発音もきれいです。
そして、おしゃれもされていて、こちらの人にとっては、
豊かに暮らしている様子です。
物価が違いますから、こちらで家を買うとしたら100万円
くらいなのだそうですが、それをローンで買うそうです。
海外旅行なんて夢の世界の様子です。
私の先生の一人は、日本の文房具に興味を持っています。
フリクションを使っていたら
「それ、フリクション?!ワー。フィリピンにはないの!!」
と目を輝かせていました。
こうした些細なところからも、
日本語のパッケージのまま様々な商品が売られているところからも
こちらの国の方々が日本に対するあこがれがあることがわかります。
道を行くトライシクル(バイクタクシー)の後ろに、日の丸を描いて
いたり、日本のアニメの絵を描いていたりするものもあります。
単に日本に生まれたというだけで世界の富裕層の一人に
入っているのだということを、彼女たちとの会話から、
町に出て目にするものたちからも、実感させられます。
そして、忘れてはいけないこと、あるいは事実として過去に起こったことがあります。
このあたり一帯の土地には、痛みがあります。
第二次世界大戦時、戦地だったこと、そして、1991年にピナツボ山が大噴火をしたことです。
第二次世界大戦のとき、日本はフィリピンで「デス・マーチ(死の行進)」と呼ばれることをしました。
1942年にフィリピンのコレヒドール島を占領した日本軍は
アメリカ兵とフィリピン兵の捕虜の数が想定以上に多かったために
移送することができず、102キロの道のりを炎天下に歩かせたのです。
マラリアや赤痢が彼らの間に蔓延し、1万人あまりの捕虜が
命を落としているそうです。
セブと違って、このあたりの方は、単に明るい、という感じではなく、
悲しい表情をしている人も見かけます。
乗り合いバスで目が合ったとき、セブの人たちは笑顔を返してくれました。
しかし、この土地の人たちは、あまり笑顔を返してくれません。
総じて、若い先生たちは明るくてチャーミングですが、ハウスキーピング(掃除、洗濯、食事の用意)をしてくれる方たちは、それほどの笑顔でもないのです。
(しかし、鼻歌は歌っていたり、ヘッドホンで音楽を聴いていたりします。こちらの人は歌が大好きなようです)
もちろん、学校の職員の方々でもありますから、笑いかけると、笑顔を返してくれます。
100以上の民族が住んでいるといわれる多様姓と、地形、80種類と言われる言語に表わされるように、「フィリピン」と国の名前ではひとくくりにはできない特徴が、地域ごとにあるように思います。
もう少し英語が話せるようになったら、更に地域ごとの特性などを先生や
スタッフの方にも聞いてみたいですし、実際足を運んで地域制を感じてみたいと思います。
一枚目の写真は、戦争のモニュメント、もう一枚は、学校の様子です。(奥は体育館です)


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