2006.
01.
29
ガラスが割れる印象が、ふと沸いてきました。
短歌の批評会でした。自作を一首出し、その場にいる参加者に批評をもらいます。年齢層も様々で、大学生から80歳代までと幅広いメンバーが集まります。感想、解釈、いいと感じた点、改善した方がいいと思われる点、など、忌憚なく、年齢や序列などには関係なく、平等に意見を言い合います。誰のどの意見が正しいなどと判定する訳ではないので、言われたことを鵜呑みにして直すのではなく、メンバーから出された意見を参考として受け取ります。
今回の私の作品は、「陰影が足りない」と言われたことが最も印象に残りました。
自分自身のあるがままの姿を見つめてみると、決して明るくポジティブではない面も出てきます。
そうした面が自分の中にあることをまず認めて、そして外に出す。
それは自分自身に対して正直にあることであり、そのままの自分を認め、把握していることの現れでもあるように思います。
自分らしさ、というのはありのままの自分を受け入れることから見出されるのだろうと思いました。
影の部分があるからこそ、それが嘘偽りではないこととして相手に伝えられる、ということもあるように思います。
そして、陰影を表現し、それを受け取るにあたり、芸術は多大なるゆとりを私たちに与えてくれているように思います。
短歌という定型の器に解き放つ心。
文字数だけを数えるとたった三十一音ですが、定型の器は何とも懐深く、大きな器なのです。そこには、どんな感情も、投げ込んでしまうことができます。そして確かに短歌に、投げ込んだものを受け取ってもらえたと感じることができます。
歌会に参加するたびに、私の心の城壁の、石垣の隙間に、すみずみまで染み渡る液体のようなものを感じ、心がほどけて行きます。ほっとして、じわっとして、うるおいます。
割れたガラスのイメージが出てきました。
私の中で、何か、不要となった思い込みを壊すことが出来たようです。
また一歩、自分という芯に近づくことができたように思いました。
「私らしく生きる」とは、常に自分の中心を通る線(芯)に沿って生きるということなのだろう、と思っています。
あなたらしく生きる、って、どんな感じなのでしょう?
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