2006.
01.
27
東京コミュニティスクールの市川力先生が、岐阜大学で講義されました。

や

を著された先生です。
13年間アメリカで、日本人の子供向けに塾をされた経験をもとに、小学生に対する英語教育について、から始まり、探究心を育てることへとお話は進みました。
驚いたことに、アメリカへ転勤になった家庭の子どものうち、英語が出来るようになった子は、日本語もできるのですが、英語が話せないままの子は、日本語もできない、という現象が起こったそうです。
なぜでしょう?
一つのことを学んで、それをどのように活用するか?
じゃあこのようにしたらどうなのかな?
という発想、応用力のある子は、みるみる上達するそうです。
外国人の先生にもどんどん日常会話を試みたり、現地のお友達と仲良くするために工夫する子は、英語が上達しているそうです。
探究心があるかないか、このことが最も大きな違いを産んでいるようです。
では、探究心を育むには?
子どもに「問いかけ」を行います。一つのことがらをさまざまな角度から捉えて行けるように尋ねる。そして、探究心が沸いたら、「じゃあそれを知るにはどうすればいい?調べて見て」と調べものをさせます。子どもたちの中で調べるものを分担させて、一つの事柄に関するスペシャリストになってもらいます。そして最後に発表を行う。
こんなクラスをアメリカでは小学校2年生が受けていたそうです。
私は常々、小学生にコミュニケーションを体験する授業があるといいのではないかと思って来ましたが、このように先生と生徒、あるいは生徒どうしがコミュニケーションを図りながら行うクラスが多くあるようなら、あえてコミュニケーションのクラスを設ける必要はないな、と思いました。
そこには全てのエッセンスが盛り込まれているからです。誰かにインタビューするとしたら、その方へのアポとりから始まります。
終わったら、お礼も言います。
ああやっぱりこうした授業づくりって、いいなあ。とつくづく思いました。
そして、英語。
日本人は覚えないとしゃべれない、と思っているのではないか?
一つ一つ蓄積して、100にならないと、動けないと思っているのではないか?
と、あるアメリカ人から言われたそうです。
おお、目からウロコ。うすうす感じていたことをこのように言語化、体系化されると、そうだそうだ、そうかもしれない。と自分を振り返りました。
学びを阻むものは、今までの知識。
手放し続けることの意義を感じました。
毎回毎回、瞬間瞬間、無垢な自分でいることこそが、あらゆるものから学べる自分を保つことになる。
刻一刻と変化している世の中。
やわらかく学び成長したいものだと思いました。
市川先生のお話に最後まで引き込まれつづけた、90分でした。
そして、教育学の第一線にいらっしゃる方でありながら物腰柔らかくあたたかい岐阜大学の松川禮子先生にお目に掛かり、このような素敵な方が教育を研究され、現場で実践されている先生方と繋がっていらっしゃることを知り、心から嬉しく思いました。
ありがとうございました。

や

を著された先生です。
13年間アメリカで、日本人の子供向けに塾をされた経験をもとに、小学生に対する英語教育について、から始まり、探究心を育てることへとお話は進みました。
驚いたことに、アメリカへ転勤になった家庭の子どものうち、英語が出来るようになった子は、日本語もできるのですが、英語が話せないままの子は、日本語もできない、という現象が起こったそうです。
なぜでしょう?
一つのことを学んで、それをどのように活用するか?
じゃあこのようにしたらどうなのかな?
という発想、応用力のある子は、みるみる上達するそうです。
外国人の先生にもどんどん日常会話を試みたり、現地のお友達と仲良くするために工夫する子は、英語が上達しているそうです。
探究心があるかないか、このことが最も大きな違いを産んでいるようです。
では、探究心を育むには?
子どもに「問いかけ」を行います。一つのことがらをさまざまな角度から捉えて行けるように尋ねる。そして、探究心が沸いたら、「じゃあそれを知るにはどうすればいい?調べて見て」と調べものをさせます。子どもたちの中で調べるものを分担させて、一つの事柄に関するスペシャリストになってもらいます。そして最後に発表を行う。
こんなクラスをアメリカでは小学校2年生が受けていたそうです。
私は常々、小学生にコミュニケーションを体験する授業があるといいのではないかと思って来ましたが、このように先生と生徒、あるいは生徒どうしがコミュニケーションを図りながら行うクラスが多くあるようなら、あえてコミュニケーションのクラスを設ける必要はないな、と思いました。
そこには全てのエッセンスが盛り込まれているからです。誰かにインタビューするとしたら、その方へのアポとりから始まります。
終わったら、お礼も言います。
ああやっぱりこうした授業づくりって、いいなあ。とつくづく思いました。
そして、英語。
日本人は覚えないとしゃべれない、と思っているのではないか?
一つ一つ蓄積して、100にならないと、動けないと思っているのではないか?
と、あるアメリカ人から言われたそうです。
おお、目からウロコ。うすうす感じていたことをこのように言語化、体系化されると、そうだそうだ、そうかもしれない。と自分を振り返りました。
学びを阻むものは、今までの知識。
手放し続けることの意義を感じました。
毎回毎回、瞬間瞬間、無垢な自分でいることこそが、あらゆるものから学べる自分を保つことになる。
刻一刻と変化している世の中。
やわらかく学び成長したいものだと思いました。
市川先生のお話に最後まで引き込まれつづけた、90分でした。
そして、教育学の第一線にいらっしゃる方でありながら物腰柔らかくあたたかい岐阜大学の松川禮子先生にお目に掛かり、このような素敵な方が教育を研究され、現場で実践されている先生方と繋がっていらっしゃることを知り、心から嬉しく思いました。
ありがとうございました。
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