2011.
08.
22
先日、救急病院の医師をされている方とお話をしていたときに教えてくださったこと。
「常に突然の死に向き合うことをしていると、人はまさかこのタイミングで死ぬとは思ってもいないのだと気づかされる。
ちょっと前の時代には、死はもっと身近なもので、人はだいたい家で死んでいたが、現代は9割以上が病院で亡くなる。
そうなることによって、死が日常から離れてしまった。そして、常に生と背中合わせに死があるということを感じられなくなってきたのではないか。
こうした、常に死は起こりうるものだという認識があるかないかで、人生の充実度は異なってくるように思う。
その観点に立つと、限りある命をどのように生きるか?を真剣に考えるようになる。
今、死生観についての教育が必要なのではないかと、私の立場だからこそそう思う。」
ああ、ほんとうに。藤原新也さんの『メメント・モリ』(死を思え)ではありませんが、死を前提にして、生はあるのだなあ。。と、その方の実感のこもった語りを伺いながら、感じたのでした。
他界より眺めてあらば静かなる的となるべきゆふぐれの水 葛原妙子
Photo:Akiko Ohe
「常に突然の死に向き合うことをしていると、人はまさかこのタイミングで死ぬとは思ってもいないのだと気づかされる。
ちょっと前の時代には、死はもっと身近なもので、人はだいたい家で死んでいたが、現代は9割以上が病院で亡くなる。
そうなることによって、死が日常から離れてしまった。そして、常に生と背中合わせに死があるということを感じられなくなってきたのではないか。
こうした、常に死は起こりうるものだという認識があるかないかで、人生の充実度は異なってくるように思う。
その観点に立つと、限りある命をどのように生きるか?を真剣に考えるようになる。
今、死生観についての教育が必要なのではないかと、私の立場だからこそそう思う。」
ああ、ほんとうに。藤原新也さんの『メメント・モリ』(死を思え)ではありませんが、死を前提にして、生はあるのだなあ。。と、その方の実感のこもった語りを伺いながら、感じたのでした。
他界より眺めてあらば静かなる的となるべきゆふぐれの水 葛原妙子

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