2010.
05.
12
昨日は、田んぼ作業の日でした。
昨年から、仲間数名で山梨県都留市で田んぼを借りて、稲作をしています。
子供の頃は父が畑を借りてくれていたので野菜を作ったことはありますが、稲作は昨年が初めてでした。
主食、お米をつくる。
この作業を通して、本当にたくさんのことを教えてもらっています。
百聞は一件にしかず。

エクアドルに行って熱帯雨林で過ごした経験も、全くもってそう思いましたが、この稲作体験も、一回一回が本当にいくつもの大切な気付きをもたらしてくれます。
昨日は、田んぼの畦に生えた草刈と、稲の種まきをしました。
まず、「雑草」と一言で呼ぶものの中に、いくつもの種類の豊かな植物たちが生えています。ヨモギ、クローバー、きれいなお花、ぺんぺん草。
名前を知らないけれど、後で聴くと食べられるお花だと知って、ヨモギと一緒に摘んで帰っててんぷらにして食べました。
人間が稲を作る、と言う目的で物事を見ると、「雑草」とされて抜かれてしまう草花たち。
(ちょうど週末NLPで「リフレーム」や「フレーム」について学んでいたのですが、正に見方を変えると「食べられる草」「きれいな草」「雑草」と見事に同じものを色々な視点から眺められるものです。)
それにしても人間の傲慢さも感じつつ、生きると言うことの命の循環も感じるのでした。
それなら畦の草を抜かなければ?と一瞬思うのですが、そうするとご近所に住んでいる方や周りの田んぼに影響があるのです。
畦の草を抜かないと豊かな生態系が生まれます。見方を変えると、いろいろな虫が発生します。稲や生活にとってちょっと不都合な場合もあります。
生態系は隣の田んぼにもつながっていくわけで、虫は自由に隣の田んぼにも行きます。だから私たちは雑草を刈らない方法なんです、と主張しても、影響は及ぼされます。
ああ、こうして村と言う社会があるのだなあと感じるし、すべてとのつながりを感じながら生きることを農業をされる方や、自然と共に生きていた稲作文化の先祖たちの目線をようやく少し理解するのです。
周りとの協調性、周りの目を気にすることなど、良くも悪くも、稲作をしていたらそうなるよね、という日本人によくあるものの考え方の習慣(プログラム)を垣間見るのです。
さて、草刈と種まき。一日中かがんでいたので筋肉痛です。
種まきは、私にとっては、なかなか緻密な作業でした。
適当にまいておく、のではなく、一定の大きさの入れ物の中に、均一に槌を広げ、均等に種をまき、うすーくかつ種が見えないようにもう一度土を乗せる。そして、水田から土が顔を出すくらいの絶妙な位置に置く。
大雑把な私には驚きの緻密さ。
こうして私が日ごろいただくお米はできているんだ。。と思い、よくご飯を残すときにかつて親の世代や祖父母の世代から聞いた「お百姓さんに申し訳ない」とか「お百姓さんに謝りなさい」とか、そうした声を思い出しました。
また、宮沢賢治が農業教育をしたわけが分かった。。と、漫然としているだけでは稲が育たないのだと言うことを改めて感じてしまいました。
春は野草がたくさん。食べられる草を教えてもらって、摘んで帰りました。
てんぷらにしたり、汁物に入れたりしておいしくいただきました。
道端に生えているもののうち何が食べられるのか?を知っておくこと、そしてそ
れをいただくことは、なんともいえず豊かな気持ちになり、力強さにつながると思いました。
何が豊かな人生なのか。
視点を大きなところから変化させる。
食べ物を自分で作れているということで、とてつもない安心感と自信を手に入れた方の声を聴くことがあります。
小さな意味での「リフレーム」だけではなくて、大きな視点からのリフレームも、していきたいものです。
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5月28日(金)~30日(日)
What's your way?ワークショップ~自然の中で自分なりの道を確かめよう~
日常から離れて、本当の意味で自分を豊かにする生き方や、自分の命を活かす生き方を改めて確かめなおす。
チェンジ・ザ・ドリームシンポジウム、ワールドカフェ、自然との対話(ネイチャーコーチング)五感をひらく、自分を肯定し、深い部分から自信が沸く、静かな心になる、そんな体験をNLPの側面からもご提供します。
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