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2010. 01. 26  

 言葉。

 便利な道具であり、誤解の産物でもあり、言い表せない限界も感じるもの。


 この便利な道具を使う一方で、私たちは自らの発する言葉によって自らに暗示を掛けて錯覚を起こしたりしています。


 小学校中学年頃のこと、近くの空き地で友達と遊んでいたら、きれいな大きな虹を見ました。

 
 わあー。。

 と、見とれていて、ふと振り返ったら、太陽が雲に隠れて、雲の切れ間から行くすじかの光が柱のように地上に降りているのがみえました。



 そして、また、わあー。。


 と見とれていました。



 家に帰って、早速その感動を母に話そうと思いました。



 ・・しかし、一生懸命その美しさや感動を伝えようとしても、伝え切れません。


 こんなことが、何度かあって、わたしは話し言葉では、伝えることができない世界があるのだということを悟りました。



 あるいは、私は言葉では表現できないんだ。と子供心に思いました。


 
 それから、話し言葉以外の表現方法を探し始めました。


 詩、小説、絵、楽器。

 
 どうしたら感じていることを表現できるんだろう?


 そして、20歳のころにようやく見つけたのは、短歌と写真でした。



 日本語独特のリズム、韻律に乗せることで、言葉によってあるニュアンスを伝えられるのではないか?


 その探求は15年ほど続きました。今も、五七五七七、三十一文字(みそひともじ)の日本語のリズムは私の体の芯に貫くなにかであり、何かを伝えられる文体であると感じています。


 写真も面白い表現ツールでした。


 そして現在


 言葉では伝え切れない何かが、やっぱりあって、感じていること気付いていること、体験していることを表現できないもどかしさを感じながら、けれど言葉というものを使うことを放棄せず、言葉とともに毎日を過ごしています。



 本来膨大なそして深遠な体験を、わたしたちは言葉というラベルを貼ることで、狭い認識の中に落とし込んでしまうことが日常的に起こっているのだろうと思います。

 ある言葉には、すでにある言葉の意味以上の認識が宿っていたりします。ほかの意味を含んでいたり、連想させたり、そして一人ひとり、一つの言葉に対する意味づけが少しずつ異なったりしています。

 
 ここに誤解が生じたり、コミュニケーション・ミスが生じたりします。


 「味はふつうだった」と聞いたとき、どんな風に感じるでしょうか。


 それは、言葉だけではなく、前後の文脈や、その人の日ごろ使う言葉遣いなど、全体のなかの一部を切り取ったものとして受け取る必要があります。


 
 とても感動した体験をしたときに「感動した」と言ってしまうとなんだか薄っぺらい事のように感じることはないでしょうか。もっと何か感じていることがあるのに、言葉になっていないということはないでしょうか。


 言葉にならないことは、悪いことでもないしいいことでもないのですが、それでも言葉の限界を感じながら、言葉による表現に挑むことをしていくのだろうと思います、

 そして、神経言語プログラミング(NLP)を通して、人の言葉がどのように潜在意識に影響を与え、人の心を動かしているのか、についての探求と伝達をしていきます。


 たかが言葉、されど言葉。

 あえて言葉にしないことを選ぶことも、また豊かなものですね。

ハワイ3
Photo Akiko Ohe
  
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プロフィール

株式会社ひらり 大江亞紀香

Author:株式会社ひらり 大江亞紀香
その方のコアからの人生の創造を支援するため、コーチング、NLPを軸に活動しています。

1.自分(存在)を掘り下げ
2.そこから未来を描き、目標を定め
3.人生をクリエイト(創造)する

この道程を通ることで、周囲に振り回されることなく、充実した、幸せな人生を手にすることができると信じ、この課程を支援しています。

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