2006. 01. 31  

 エンヤの曲で、とても心に残っているものがありました。

 ある研修でファシリテーターをしていて、その研修を終えたときに、CDプレイヤーのスタートを押したら流れてきた曲です。

 自分で用意したCDではありませんでしたが、そのときの気持ちにぴったりだったのです。

 研修が終わって、受講された方の感想を聴き、再受講の方から、受講後の毎日がどのように変化したのかをシェアしてもらっていました。

 受講された方は皆一様に、瞳をきらきらさせて、こんな未来を実現している、と、語ってくれました。落ち着いて、ゆったりとしていて、未来への希望を感じました。

 そして私は、その受講生さんたちの姿を見て、ただただ、感動していました。
 
 人が自分の可能性を信じて希望にあふれていきいきしている場をつくりたいと思っていました。その場が今、目の前に展開している。。

 これは、私がつくった場ではないと思いました。受講生さんが作った場で、私はそのきっかけをつくっただけなのです。でも、確かに目の前で、私が欲しいと思っていた世界が展開されています。。。

 みなさん、受けてくれてありがとう。

 と、心から言いたくなりました。
 ただその「場」に感動して、泣きそうになりながら受講生さんの話を聴きました。

 そのときに流れていた曲。


 「WILD CHILD」と言う名の曲でした。
 今日、そのタイトルが分かりました。そして今日、やっとその曲に再会できました。


 野育ちのこども。。。何か、見かけに寄らずワイルドでぶっとんでいる(尊敬する方にこう言われてしまいました)私にぴったりのタイトルでした。


 初めてその曲が私の中でアンカーとなってから2年近くが経ちますが、最近になって、なぜかとても聴きたい気持ちが強くなっていました。
  
 アンカーとは、感情の発火材のようなものです。
 音楽のほかにも、土地や体の感覚などなどがあります。その地へ行くと、切なくなったり懐かしくなったりするとか、手首を触ると、あのときの嬉しかった気持ちがよみがえるとか、ある決まった感情を呼び覚ますもののことを指します。

 なかでも音楽は、聴いた人を当時の気持ちに戻す、強力なアンカーですね。


 あなたが一瞬にしてポジティブになれるアンカーは、何ですか?
 
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2006. 01. 30  

 本が増えすぎたので、整理していました。

 ちょうど10年前に知人から頂いて読んだ本『出すぎる杭は打ちにくい!』黒木安馬著 をぱらぱらとめくっていました。
 そこで出会った素敵な言葉をご紹介します。

 
 海より大きな眺めがある
 それは空である
 空より大きな眺めがある
 それは魂の内部である

         ビクトル・ユーゴ


 以前友人が教えてくれた「内側は外側よりも大きい」という言葉と通じるものがあるように思います。

 晴れ渡った日の青空を見るのが好きです。
 海を見るのも、とても好きです。

 それは、広くて澄んでいて、こころがのびやかになるから、解放されるからです。

 そして、広いひろい空よりも、もっと大きなもの。
 それを一人一人が持っているというのです。

 「大きな眺め」として魂を見るユーゴの視点。
 おおきなキャンパスにユーゴが魂の絵を描いたら、どんな風だろうか、と想像してしまいました。


 それほど人の魂、心は、おおきく、大きく、おおきいものなのですね。



 とてつもなく大きなものを私たちは持っているんだなあ。。。と深呼吸しながら、宇宙と繋がっているアイデンティティの感覚宇宙と繋がっている世界の中心感覚を思いだしていました。。。


 自分を愛したぶんだけ、人を愛することが出来たり
 自分を認めた分だけ、人を承認できたり
 自分を信じている分だけ、人を信じることができる

のだとしたら、とてつもなく大きな魂を自分の中に見出していることは、コーチにとって大きなリソースであると思いました。

と同時に、一人の人間として、出会う人たちを窮屈にさせず、自由でいてもらうためにも、空より大きな眺めである魂を、自分の中に常に感じていたいなあと思いました。


【おまけ】
ムーミンの上には何がある?
ムーミンの上には雲がある
雲の上には何がある?
雲の上には空がある
空の上には何がある?
ソラの上にはシドがある・・・♪
      
         ムーミンパパの歌

2006. 01. 29  

 ガラスが割れる印象が、ふと沸いてきました。

 短歌の批評会でした。自作を一首出し、その場にいる参加者に批評をもらいます。年齢層も様々で、大学生から80歳代までと幅広いメンバーが集まります。感想、解釈、いいと感じた点、改善した方がいいと思われる点、など、忌憚なく、年齢や序列などには関係なく、平等に意見を言い合います。誰のどの意見が正しいなどと判定する訳ではないので、言われたことを鵜呑みにして直すのではなく、メンバーから出された意見を参考として受け取ります。


 今回の私の作品は、「陰影が足りない」と言われたことが最も印象に残りました。

 自分自身のあるがままの姿を見つめてみると、決して明るくポジティブではない面も出てきます。


 そうした面が自分の中にあることをまず認めて、そして外に出す。
 それは自分自身に対して正直にあることであり、そのままの自分を認め、把握していることの現れでもあるように思います。

 自分らしさ、というのはありのままの自分を受け入れることから見出されるのだろうと思いました。


 影の部分があるからこそ、それが嘘偽りではないこととして相手に伝えられる、ということもあるように思います。


 そして、陰影を表現し、それを受け取るにあたり、芸術は多大なるゆとりを私たちに与えてくれているように思います。


 短歌という定型の器に解き放つ心。

 文字数だけを数えるとたった三十一音ですが、定型の器は何とも懐深く、大きな器なのです。そこには、どんな感情も、投げ込んでしまうことができます。そして確かに短歌に、投げ込んだものを受け取ってもらえたと感じることができます。

 歌会に参加するたびに、私の心の城壁の、石垣の隙間に、すみずみまで染み渡る液体のようなものを感じ、心がほどけて行きます。ほっとして、じわっとして、うるおいます。
 
 

 割れたガラスのイメージが出てきました。

 私の中で、何か、不要となった思い込みを壊すことが出来たようです。


 また一歩、自分という芯に近づくことができたように思いました。
 「私らしく生きる」とは、常に自分の中心を通る線(芯)に沿って生きるということなのだろう、と思っています。

  

 あなたらしく生きる、って、どんな感じなのでしょう?

 
2006. 01. 28  
 大学に入学したばかりの方々に、どのようなメッセージを伝えていくか、実際の大学生の方々にセミナーを体験していただいて意見を伺う、という場を見学しました。

 様々な意見を学生さんから伺いましたが、最も印象に残ったことは、友達をつくるきっかけ作りを求める声があるということでした。

 恥ずかしながら、その視点は私にはほとんどありませんでした。

 友達は、作ろうと意識しなくてもすぐできるだろう、と思っていました。

 しかし、それは私の価値観なのです。友達を作ろう、などといちいち意識をしたことがありませんでした。

 
 大学内にほとんど友達がいない、という学生さんもいると聴きました。

 人と接するのが苦手と言う人がいる、と聴いて、
 また、
 このことを解決するには、どうしたらいいだろうか。。
 と、頭の中をぐるぐると思いが巡りました。

 私自身、高校生の頃には、何かと悩んでいましたし、
 セルフイメージが低くなっている時期も在りました。

 セルフイメージが低いと、自ら誰かに声を掛けることすら自信がなく、こんなことして相手に迷惑にならないか、などと無用なつぶやきが行動にブレーキをかけてしまうものです。

 
 その辺りから掘り起こしていく。自分自身、そこからどう復活して来たのかをもう一度思いだす。
 それは、大人の方々にワークショップや講座をするときにもそうだなあ。

 と、忘れ掛けていた視点を思い出していました。
 そして、大学生の方々へのセミナーの際には、この辺りを確実に盛り込んで置こうと思いました。



 後で高校時代の友人たちに会いました。

 ごくたまにしか会いませんが、年月をへて、交わす話題もさまざまになってきています。高校生の頃の話題とは全く異なることにもなりますし、年齢とともに、辛苦を味わう機会も増えるせいか、より深く自分を出せる関係になっているようにも思います。

 人間って、生きているって、そういうこともあるよね。

 なんの垣根もなくものを言い合えて、ばかな話もできて、全く違う人生を生きているのに、やっぱり人間としてのところで繋がり合っている。お互いの価値観や生き方を受け入れ合っている。


 いろいろな時期に出会った友達がいますが、時期に関わらず、何でも話せる友達がいるということは、生きる勇気になるし、支えになる。お互いに思い合っていられる存在があるということは、実に豊かだなあと、つくづく思いました。


 
2006. 01. 27  
東京コミュニティスクールの市川力先生が、岐阜大学で講義されました。

「教えない」英語教育



英語を子どもに教えるな

を著された先生です。

13年間アメリカで、日本人の子供向けに塾をされた経験をもとに、小学生に対する英語教育について、から始まり、探究心を育てることへとお話は進みました。


驚いたことに、アメリカへ転勤になった家庭の子どものうち、英語が出来るようになった子は、日本語もできるのですが、英語が話せないままの子は、日本語もできない、という現象が起こったそうです。

なぜでしょう?






一つのことを学んで、それをどのように活用するか?


じゃあこのようにしたらどうなのかな?



という発想、応用力のある子は、みるみる上達するそうです。

外国人の先生にもどんどん日常会話を試みたり、現地のお友達と仲良くするために工夫する子は、英語が上達しているそうです。

探究心があるかないか、このことが最も大きな違いを産んでいるようです。


では、探究心を育むには?

子どもに「問いかけ」を行います。一つのことがらをさまざまな角度から捉えて行けるように尋ねる。そして、探究心が沸いたら、「じゃあそれを知るにはどうすればいい?調べて見て」と調べものをさせます。子どもたちの中で調べるものを分担させて、一つの事柄に関するスペシャリストになってもらいます。そして最後に発表を行う。

こんなクラスをアメリカでは小学校2年生が受けていたそうです。



私は常々、小学生にコミュニケーションを体験する授業があるといいのではないかと思って来ましたが、このように先生と生徒、あるいは生徒どうしがコミュニケーションを図りながら行うクラスが多くあるようなら、あえてコミュニケーションのクラスを設ける必要はないな、と思いました。

そこには全てのエッセンスが盛り込まれているからです。誰かにインタビューするとしたら、その方へのアポとりから始まります。

終わったら、お礼も言います。


ああやっぱりこうした授業づくりって、いいなあ。とつくづく思いました。


そして、英語。
日本人は覚えないとしゃべれない、と思っているのではないか?
一つ一つ蓄積して、100にならないと、動けないと思っているのではないか?

と、あるアメリカ人から言われたそうです。

おお、目からウロコ。うすうす感じていたことをこのように言語化、体系化されると、そうだそうだ、そうかもしれない。と自分を振り返りました。


学びを阻むものは、今までの知識。


手放し続けることの意義を感じました。
毎回毎回、瞬間瞬間、無垢な自分でいることこそが、あらゆるものから学べる自分を保つことになる。

刻一刻と変化している世の中。

やわらかく学び成長したいものだと思いました。

市川先生のお話に最後まで引き込まれつづけた、90分でした。

そして、教育学の第一線にいらっしゃる方でありながら物腰柔らかくあたたかい岐阜大学の松川禮子先生にお目に掛かり、このような素敵な方が教育を研究され、現場で実践されている先生方と繋がっていらっしゃることを知り、心から嬉しく思いました。

ありがとうございました。
2006. 01. 26  

思い切って、誰もやっていないことにチャレンジして見る人のことや、時代を開拓していく人を、パイオニアと呼んだりしますね。

人間の脳は、「変化」を嫌います。それは人類の歴史の中で、自分たちの種を守るために身につけてきたものです。本能的に、自分が変化することや、自分と異なる存在を恐れます。

しかし、いつまでも異なる存在を恐れ、ぶつかり合うことや、歩み寄りを避けることを続けていていいのでしょうか。


人と人との繋がりは、そんなに狭いものなのでしょうか。
そんなに浅いものなのでしょうか。



そして、変化を恐れ続けていては発展はありえませんね。


人類の進化、発展は、思い切って新たなことを試して見たパイオニア(開拓者)がいたからこそありえたのだなあと、改めて思います。

「これ食べられるのかな?」

と、植物を食べて見る。

そういうチャレンジをしてきた人がいてくれたから、いろいろな植物や、動物の何に毒があるのか?食べられるものなのか、食べられないものなのかが、今の私たちに分かる訳ですよね。

そんな訳で、勇気を持ったパイオニアたちの、ボーダーを越えた繋がりの場、もっともっと世界中にあるといいなと思います。

自ら考えて動く人、全員がパイオニアだと思っています。


昨年12月に参加した、第1回Crossing BordersJapan。社会への問題意識が高く、実にホットな仲間たちと議論ができました。

そんなCrossing Borders Japanですが、ファシリテーター&コーディネーターの中川麻耶さんはじめ、参加メンバーのその後の結束も固く、更なる活動が始まります。ご興味のある方は参加されてみてはいかがでしょうか?


因みに私は神戸第2回 平成18年6月3日(土)~4日(日)に参加する予定です。ささやかなパイオニアとして。


以下に案内を添付します。

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Crossing Borders Eastern Japan 2006 Spring


個性と個性の出会う場所・違いを越えた学び

「Crossing Borders=ボーダーを越える」を目指す私たちが提供するのは参加者の個性・多様性を尊重したオープンで自由なダイアログ(対話)、そして問題意識やアイディアを場で共有し、実際にそれを行動につなげていくためのツールやチャンスです。そしてひとりひとりが社会・世界とのつながりを感じることでうまれる思い、何らかのアクションの集大成が社会変革のムーブメントのきっかけとなることを目指しています

2005 年の12 月の神奈川県藤野市での合宿では、国内外でアクティブに活動している感度の高い若者が集い、様々なワークショップを通して人と人のつながりを実感してもらいました。同時に国際問題、教育、労働環境、福祉など多方面に渡る活発な深い対話からネットワークができました。

今回はその第二弾として「社会問題解決」のための考え方、そして実際にアクションを起こすスキルについて学ぶセミナーを開催します。ふるってご参加下さい。

Crossing Borders は紛争が続く中東の若い世代の本質的な和解のため中立な対話の場を提供し、政治的に対立するユース間のネットワーク作りを10 年以上にわたり進めているデンマークで生まれたNGO です。平和の基盤をつくるためイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、そしてヨーロッパ各国からのユースをデンマークに招待して共同生活をさせ、紛争解決のためのコミュニケーションスキル、平和ジャーナリズムのトレーニング、Crossing Borders のユースによる平和のための雑誌の刊行等を行っています。
主催:Crossing Bordershttp://www.crossingborder.org/
協力:ラーンネット・グローバルスクールhttp://www.l-net.com/lgs/index.htm

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【東京開催分】

日程:平成18年3月11日(土)~12日(日)1泊2日
11日10時現地集合・12日17時終了予定(参加希望者12日打ち上げあり)

場所:東京都多摩市東寺方647TEL.(042)375-3371
(最寄り駅:京王線聖蹟桜ヶ丘駅京王相模原線:多摩センター駅)

費用:社会人:24000 円学生:19000 円(1 泊2 日昼2・夜1・朝1食込み)

【神戸開催分】

日程
第1回平成18年4月22日(土)~23日(日)1泊2日
第2回平成18年6月3日(土)~4日(日)1泊2日
いずれの回も10 時集合17 時頃終了予定。(集合場所はご連絡します。)

場所
ラーンネット・グローバルスクール六甲山のびのびロッジ他

費用
各回とも社会人:24000円学生:19000円(1 泊2 日昼2・夜1・朝1食込み)
連続参加:社会人45000円学生:35000円(お得です!)

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内容
テーマ(神戸第1回):Crossing Bordersへの招待
ファシリテーター:炭谷俊樹・中川摩耶

・デンマークで行われているCrossing Borders のプロジェクト、メソット紹介
・ラーンネット・グローバルスクール代表、炭谷によるラーンネットグローバル
スクールの紹介、メッセージ
・チームビルディング
・Crossing BordersJapan のビジョン作り、ブレインストーミング
・問題意識のシェアリング(自主企画)
・つながりを感じるダイアログ(対話)
・夜はとことん語らうキャンドルチャット(懇親会)

(東京・神戸第2回)
テーマ「社会問題解決スキル」について学ぶ!

講師:炭谷俊樹・経営コンサルティング会社マッキンゼーにて10年間日本企業及び北欧企業のコンサルティングに携わる。新人コンサルタント採用・研修の責任者も担当。1996年神戸で子どもの個性を活かす「ラーンネット・グローバルスクール」を開校、同代表。1997年大前研一らとともに事業の立ち上げを行う株式会社大前・アンド・アソシエーツを設立。同社の人材開発事業の責任者(パートナー)として、企業のビジネスリーダー育成に携わる。経営管理者育成プログラム「本質的問題解決コース」講師。2005年4月よりビジネス・ブレークスルー大学院大学教授。著書に「第3の教育」(角川書店)。東京大学理学部修士課程修了。

ビジネスの世界で会社の課題を発見・解決するための思考法として
有効に活用されている「問題解決手法(Problem Solving Approach=PSA)」の考え方を社会問題の解決に応用する手法を学びます。

PSA のステップ
0. 問題の設定~ 何をめざすのかのゴール設定
1. 問題発見~ 本質的な問題は何か~
2. 解決策立案~ 発散と収束の繰り返し~
3. 実行~ キーパーソンとのコミュニケーション~
・チームビルディング
・ダイアログ(対話)
・キャンドルチャット(懇親会)

募集人数:20名程度

申込締切・・・定員になり次第締切りますのでお早めに!

東京:3月3日(金)正午
神戸:
第1回4 月10日(月)正午
第2回5月22日(月)正午

お申込方法
別紙申し込みフォーマット(アンドロメダ葉月注:ここに添付できませんので、「メールを送る」から私にご一報下さい。折り返しフォーマットを送信いたします)に必要事項を書き込み、メールに添付して
crossing_borders_jp@yahoo.co.jp に送ってください。後日、詳細の案内を送ります。

お問い合わせ
メール:crossing_borders_jp@yahoo.co.jp

※都合により1 月25 日~2 月19 日の期間中のお問い合わせには、早期返信できかねますので御了承下さい。

※収益金の一部はデンマークCrossing Borders 、
チェチェンの子どもたちを支援する会、の活動資金として寄付されます。

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2006. 01. 25  

 近頃は幸せなことに、いろいろな方から愛情や勇気を注いでいただいています。
 それというのも、自ら動いたり、自ら気づいたりしているからでしょうか。。


 自分の中で、ああ、このことについて、きちんと向き合っておく必要があるなあ。。。と、気づいた矢先に、その「場」が様々な方からもたらされます。

まさに、数日前に書いた通り「決めると、手に入る」状態です。


 今日は驚いたことに、3件もそのような「場」をいただきました。余りにも集中しすぎていて、ひとりの方に、後日に延期していただいたほどでした。

 そして、自分の中の囚われや思い込みに気づき、まだ負っていた傷に気づき、涙でそれを浄化して、壁をじーっと見つめて、、、果ては自分の決意そのものに背中を押されるように前進し始める感覚を得ました。

 今日はどうも何かあるなあ、と思っていたら、案の定、私の記念日でした。詳しくは省略しますが、壁に向き合うのにぴったりの記念日でした。


 そんな訳で最近は「愛情」というギフトを本当にたくさん受け取っています。ほんとうにありがたいことです。感謝です。

 それというのも、愛情を受け取る、と、決意しているからなのかも知れませんね。
 

 知っていますか?
 あなたはたくさんの人から愛情を注がれているということを。
2006. 01. 24  

 いろいろな考え事をしながら洗面所で顔を洗っていました。

 化粧水や乳液をつけて、目が悪いのでコンタクトレンズを入れて、手を洗い、
 何の気なしにふっと顔を上げると、鏡に映ったわたしは微笑んでいました。。。

 そして、その顔を見て、心和んでしまいました。

 どうして笑っていたのでしょうね、
 真剣な考え事をしているつもりでした。

 
 。。ちょっとおめでたい私かもしれませんが、

 
 高校生の頃に、友人から「いつも微笑んでるよね」と言われたことがありました。
 当時の私は、思春期特有の煩悶の中にいて、憂鬱な日々だったと記憶しているのですが、そうした中でも、微笑んだ顔だったそうです。

 いつも笑っているなんて、それも気持ち悪いことね、、と思っていました。

 
 しかし、人が明るい表情をしているのを見ると、心がぱっと明るくなったり、心和んだりということはよくあります。

 
 今日はじめて、自分の何気ない微笑んだ表情を見た時に、自分の顔でも、心和んでしまう、なんていうことが起こりました。

 
 いつも笑っている、って、けっこう心に効きますね。
 笑顔は人を明るくしますね。


 そして、真剣な考え事をしているつもりでも、表情は微笑んでいる、という私に気付いて、それはそれで、嬉しい体験でした。

 
 
2006. 01. 23  
久しぶりに友人と再会しました。私のとても大切な友人です。彼女は心からの輝く笑顔で私を迎えました。

 席に着くと、早速彼女は話し始めました。「早く会って話したかったのー。」

と、堰を切るように、最近会ったミラクルな出来事を語ってくれました。


お姑さんとの関係のことです。

結婚以来十数年、お姑さんのことを憎んできたそうです。
でも、憎んでいる自分が居心地が悪く、嫌だったそうです。

彼女がずっとずっと苦しんできたことでした。

最近ある本を紹介されて読んでいたら、中に書いてある文字で「ゆるす」という言葉ばかりが目に飛び込んできたそうです。

そして、「ああ、もう憎む気持ちを手放そう」と、決意したその日に、
驚いたことに、突然お姑さんが初めて心からのお詫びを彼女に告げたのだそうです。

ご主人も初めて見るお姑さんの姿で、後で彼女とご主人は「あんなおかあさんは初めてだね」、と話したということです。

とことん悩み苦しんだら、最後は願いみたいなものが通じた、と語ってくれました。

泣きながら話す友人の姿は、強い確信を掴んだように、芯のある輝きを放っていました。


「どんなに辛くても、自分に乗り越えられるものしか来ないからね。」


この言葉には、心から同意します。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして私の近況を話した後、友人に言われました。

友人「どんなエネルギーがあなたに来ても、全部自分のエネルギーに変えて出してるよね。」
私「・・・なんだか変電所みたいだね、私。」

──今日から人間エネルギー変電所になりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「決意したら、手に入る。」

このことを改めて友人に教えられ、また、背中を押されるような勇気をもらったのでした。
2006. 01. 22  
文学の研究会でした。

一つの作品について、どのように解釈し、捉えることが出来るか?
作者はここで何を言わんとしていたのか?
「わたし」はどのような位置づけにあるのか?
ここに出てきたチンパンジーは、何を伝えるため?・・・

既に先人たちによって言われている評価とは異なる、自分独自の視点で改めて作品を見て、どう捉えるか。

「これはどう思う?」何て言いながら、じっくり意見を交わしました。

時が経つに連れ、ますます面白くなり、休憩することも、飲食も忘れて没頭していました。


作品の解釈は、答えがもともとあるものではないので、誰か偉い人が言ったからそうだ、とも、大勢の人がそう言っているからそうなのだ、とも限らない訳です。

だからそこで思考を停止しない。
自分の目でみて、自分はどう思うかを探求する。

十人いれば十通りの解釈や説が出るかもしれません。

今日は五人で行いましたので、五通りの解釈をそれぞれに交わしながら
「なるほどー、そうとも取れるね。」「それじゃあ、この点はどう読む?」
とやりとりを繰り返し、ついにはその作品についてもともと考えていた見方が変わったという人がいたり、新たな論点を見出した人がいたり、皆がそれぞれの自分のお土産を持って帰ったのでした。


ひとつのことについていろいろな角度から考えて、意見を変わす。

けっこう多くの視点を見失っていた自分に気づくと同時に、一つの視点に拘っていた自分も見えることがあります。


友人と美術館に行くときにもこういうことをします。「ねえ、これ何を描いているように思う?」「この絵を見ていると、どんな気持ちになる?」


自分はどう思うのか?

そして、ほかの見かたはあるのか?あるとしたらどんな見かたがあるのか?


いろいろな角度から考えるのが、楽しいです。
2006. 01. 21  

 自分が何かにゆきづまっているとき、何と声をかけてもらいたいですか?

 1.どうしてできないの?

 2.どうしたら、うまくいくと思う?



 1.何が分からないの?

 2.分かっていることは、何?


 ・・・私は、2番の声掛けをしてもらうと、嬉しいです。


 1.は否定的な面に焦点を当てています。
 2.は、肯定的な面に焦点を当てています。


 今日の講座では、練習として、まず1.のタイプで質問をしてから、2.のタイプの質問をしていただきました。


 練習と分かっていても、1.で質問されるとぐさっときました。
そして、2.で質問されると、「そうね・・・」と、自分の中に入っていき、自然と考えを巡らせ始めていました。


 受講生の方の中には、1.で質問されると、むかっときた、と言う方もいらっしゃいました。

 これでは喧嘩になってしまいそうです。
 
 似ているようで、全く違う感情を相手に引き起こす。。

 言葉って、単純なようで、深いですね。


 これは、自分との対話にも置き換えられます。

 自分が失敗した時に、こころのなかのつぶやきが、2.の肯定的なものになっていると、なんだか気持ちも朗らかになりそうですね。
2006. 01. 20  

 12月に、沖縄にあるドリームプラネットインターナショナルスクールへ見学に行きました。そのときの記事は、こちらです。

 そして、ファミリーフォレストさんが最近見学へ行かれたということで、記事を拝見し、また、感情が動かされました。

 なぜでしょう?ものすごく心動かされ、涙が溢れます。

 私は常々「自分の人生を生きる」人を増やしたい、と思っています。そのためにコーチングをし、講座や研修をしています。

 そしてそのために、教育に非常に関心があります。

 自分の人生を生きている、という実感を持って生きている人の密度が、私の日常の何十倍もの濃さでいるからなのでしょうか。

 それとも、自分が長年、自分や周りの人からも味わうことが出来なくて、ずっと味わいたいと思っていた感情やあり方が、そこに存在し、それを感じることができるからなのでしょうか。

 自分らしく自然体で生きる、ということを早くも獲得できている、そこの生徒さんたちを見て、そのように生きられなかった中学生、高校生時代の自分が癒されているのでしょうか。

 
 ここは私にとってとても重要な原動力になるように思っていますので、しばらくよく自分の気持ちと向き合ってみたいと思っています。


 あなたにとって、どうしようもなく感情が動かされる(喜怒哀楽どの感情でもOKです)のは、どんなときですか?

 そこには、あなたの大切にしている価値観があるかもしれません。
 
2006. 01. 19  

 ショック療法って、出来れば避けたい気がしますね。

 でも、私はこれで人生変わりました。


 日経新聞の1月4日に掲載されていた松下幸之助さんの言葉を抜粋します。


「ある町が水害で、すべてを流失した。隣町は何の被害もなかった。十年後、被害を受けた町は例外なくすべて発展している。火事で全部燃えてしまった町も同様である。これも全部発展している。
 災害をうけなかった町は、発展しない。恵まれたと思ったところは、実は恵まれていない。悲惨な状態につきおとされた町が、十年後には数倍の発展をする。
 これは何が原因であるか。私は心の問題であると思う。これは復興しなければならないという、人々の心のはたらきによって変わってくる。悲惨な被害が、その後の発展の起因となる。・・・」



 神戸。震災から11年経ちます。私は、震災を経験した20歳代、30歳代の人と交流した時に、頼もしいものを感じました。社会問題、世界情勢に敏感で、問題意識を持って自ら解決しようと行動しているなど、骨があって、逞しいのです。平和ぼけしている私を含む多数の日本人とは、感覚が違うと感じました。そして、今後の社会に頼もしい活動をしてくれるように思いました。

 個人に焦点をあてても、同じことが言えるように思います。
 親御さんを亡くしたスポーツ選手が金メダルを取っていたり、さきほど紹介した松下幸之助さんをはじめ、人生に大きな挫折を持っている人が大成していたりしますね。
 

 実は、人生の危機を振り返って見ると、そのことに関連したことを今取り組んでいたりするものです。そして、直面した危機に関連することで人は大成することが多いようです。

 
 振り返れば誰しも辛い経験があるとしたら、その経験をどう今後の人生に活かすか、なのですね。

 

 と言うわけで、私もそれなりにショック療法をがつんがつんと受けていたりしています。
 
 結婚の挫折と、もうひとつの出来事(もうひとつについては、またいずれご紹介できればと思います)。
 
 そのときは慌てたり落ち込んだりしましたが、何となく心のどこかで「そうきたかあー、よーし。」と思って正面から波を被りました。


 ありがたき人生。

 お陰で今は、自分の人生を生きている実感を持てています。自分らしく、自分の道を進むことが出来ていると思います。
 

 あれから10年経つ頃には、数倍の発展をしていることでしょう。。。
2006. 01. 18  

 「人は常に現在可能な最善を尽くしている」

NLP基本前提の中の一つに、この一文があります。

NLPとは、神経言語プログラミングと訳されます。体の感覚を用いて潜在意識にアクセスし、人の変容を促すことができます。(詳しくは私が学んでいるNLPラーニングのHPをご覧下さいhttp://nlplearning.jp/how_to_nlp/how_to_nlp.html。

私はNLPを通してスキルや手法を学んでいるというよりも、人生を生きる哲学を学んでいるのだと思っています。


さて、冒頭の一文。

今現在の私も、最善を尽くしている。

そう思うと、「もっと頑張らなくては」

という思いが消えます。

私なりの方法で、最善を尽くしているのですから、これ以上を望む必要はないということです。

望む変化への歩みが遅く感じられるかもしれません。

しかし、これも最善を尽くしている結果の現われなのです。



分かりにくい文章ですが、最近少しずつ実感してきています。

知っていますか?
あなたはすでに、現在可能な最善を尽くすことができている、ということを。

2006. 01. 17  
先日のNLPマスターコースで、メタファーを使ってNLPを学ぶ前の自分と現在の自分を表現する、という実習をしました。 

NLPを学び始めたのは一年3ヶ月前です。

直感的に思い付いたものをシートに記入して行きました。
「植物」の項目では桔梗鉄線(クレマチス)
「動物」の項目では、メスのきじが、にこにこした表情のくじらに
「食べ物」の項目では、ショートケーキがポトフに
などなど、変化していました。

中でも「建物」の項目では、NLPを学ぶ前の私はサグラダ・ファミリア教会、学んだ現在は、なんと山小屋でした。

そのこころは・・・?


完ぺき主義だった自分、綺麗にしっかりした人に見えるように、見た目を繕っていた自分・・。などが見えました。完ぺき主義だから、どんなに時間を掛けてもこれでよし、と思えない自分がいたように思います。


そして今は、そのままの自分。シンプルに飾らず、ありのままの自分でいてここちいい。自然の中にいるから気持ちがいい。


そんなところでしょうか。
昨年に引き続き「手放す」ことをつづけてきて、より自分の中がシンプルになっているように思います。

「手放す」とは、自分の中の囚われ・思い込みや、立場を手放すという意味です。

桔梗からクレマチスへの変化についても、われながら面白いと思いました。

端正に、身なりを整えて立っている印象の桔梗。
有刺鉄線のように強く、縦横無尽に広がって生える、逞しさをもつクレマチス。

こんな風に解釈しました。花言葉でみると、桔梗には、従順という意味があり、クレマチスには心の美という意味があるようです。


メタファーを使うと、ほんとうに的確にそのものを表すことが出来ますね。


今のあなたを何かに例えるとすると、何になりますか?

直感で思い浮かんだものが、きっとぴったりの自分をあらわしています。
2006. 01. 16  
私の父は、子どもの時よく遊んでくれました。

週末に3人の娘を、ちょっと離れたところにある公園に連れていってくれました。

そこで写真を撮ってくれました。


当時は、身近な公園へ親がついて行くということはほとんどなかったのですが、私の父は、違っていました。

私や妹、そして近所の友達と一緒になって、砂の上に座って転がって一緒に遊んでくれました。子どもと一緒の目線で、楽しそうに笑っていました。

そんな父を誇らしく思いました。



毎朝、早起きして子供用の百科事典の「天文」の巻を持って、父の寝床へ行きました。

父は、毎朝私に「地球に比べると、太陽はこんなに大きいんだぞ」「地球は回転しながら太陽の回りもまわっているんだよ」などと、さまざまな星の話をしてくれました。

動きや大きさが理解できないときには、地球儀とりんごを使って説明してくれました。

毎朝の父との時間がとても好きでした。



家の中でも、3姉妹は父と遊んでもらいました。馬飛びの馬になってもらったり、かついで高いところに上げてもらったり。三人が順番に並んで、いつまでもいつまでも同じことをしてもらいました。


父は怒鳴らない人でした。かっとなって怒られたのは、父が飲むはずの薬のカプセルを、入れ物に入っているのだと勘違いして開けてあげた結果、中の薬を飛び散らせてしまった時だけです。



父は子どもたちの人生の選択に、指図しないばかりか、反対もしませんでした。


進学先を考えるときもそうでした。
海外へ一人旅に出るときもそうでした。
離婚することを決めたときもそうでした。
退職することを決めたときもそうでした。

私が結婚するときだけ、反対されたのでした。

そして、離婚するときになって、「初めから合わないと分かっていたけどな」と言われました。


祖父の本の出版のために編集作業をしていたときだけ、指図されました。


そして今日、新たな決意を伝えに行ったときにも、やっぱり反対しませんでした。
多分、心配しているのだろうと思います。
他の家族の誰よりも、心配しているのだろうと思います。


サラリーマンから起業して経営者として生きた父を見てきました。
苦しそうなときもありましたが、愚痴を言わず、
私たち娘が何歳になろうとも、無邪気にスキーやお祭りなどの遊びに誘ってくれました。


何も指図しない育て方をしてくれたことに、とても感謝しています。
子供の頃たくさん遊んでくれたことに、とても感謝しています。


いつも心配掛けてごめんなさい。
いつも信じてくれてありがとう。
2006. 01. 15  
NLPマスタープラクティショナーコースで、プレゼンテーション実習をしました。

最も誰かに伝えたい体験を「語る」。


まだうまく言語化できないのですが、全員が、それぞれの輝きを放って語る、それはそれは素晴らしい「場」でした。


光の柱が立っているような人もいました。
風を巻き起こしている人もいました。
おだやかに炎を揺らすひともいました。
水紋がひろがるようにじわっとくる人もいました。
無邪気な木の子どもになっている人もいました。
木製の機関車みたいな人もいました。
テディベアが自立して歩き出したみたいな人もいました。
急に燃え始めた練炭の火鉢の人もいました。


私が語ったことは、、、


「普遍性」って、何だと思いますか?


私は短歌を詠むことが好きです。たった三十一音しか音(おん)がない、小さな器なのですが、そこには「真実」を吹き込むことが出来るからです。

「事実」か「事実でない」か、といった判断ではなく、「真実」を描くことが出来るのが、短歌の魅力です。

その器に放たれるとき、心は自由を感じています。

そこには宇宙があります。時空を越えて誰かと繋がる感じがあります。

詠みつづけていると、ふと無心になることがあります。「自分」という存在を忘れて、私が短歌なのか、短歌が私なのか、区別がつかなくなり、時が経つのを忘れます。

面倒だし、継続するのが嫌になることがあるのに、麻薬のように私を惹きつけて止まないのです。

三十一文字(みそひともじ)の文化は、万葉時代の千三百年前から続いています。当時の歌を読むと、心から共感できます。誰かを亡くしたかなしみ、恋人と別れ別れになった寂しさ、春の訪れに対するよろこびなど、まさに生きている実感がありありと伝わります。

こうした歌を読むとき、わたしは、千三百年前の人たちから、手紙をもらっているのだと、感じます。


そして私も、千年先の人々の心に届くような歌を、千年先への手紙を残したいものだと、思うのです。


あなたは、千年先の人々に、何を残したいですか?何を、伝えたいですか?



こうした時間感覚でものを捉えるとき、人と人との豊かな関わりを、学校や家庭で着実に実践して行くことが、とても大切だと私は思っています。


私なりに考えて、より人が心豊かに、自分の人生を生きることができる社会への実践を行って行こうと思っています。
2006. 01. 14  
NLPの学びも、単発の講座を除くとプラクティショナー、プラクティショナー再受講、マスタープラクティショナーコースを併せて27日目となりました。

一年以上の付き合いになる仲間もいます。半年の付き合いの仲間もいます。

そして、共に学び続けている仲間たちが、素晴らしい変化、成長を遂げていくのを見て、聴いて、感じることが出来ています。

そして、深い気づきを得て、身の回りに起こることから学んでいることを、共有してもらっています。

落ち着いた、安心できる空気がそこにあります。


そして誰しもが確実に前進しています。


深いところでラポール(信頼関係)ができると、ふと、相手の方の世界が見えてしまうことがある、と、NLPラーニング代表でトレーナーをされている山崎啓支さんがおっしゃいました。

そうですね。
そういうことって、ありますね。


遥かな旅をつづけながら、同じところに一同に会した私たち受講生は、確実にお互いに影響を与え合いながら、それぞれの旅を味わい、愛し、学び、成長していく。


山崎さんからNLPを学んでいる時、私はいつも心の深いところから沸いてくる「願い」に忠実でありたいという気持ちになります。

今日感じた学びの「場」は、本当に自らの学びに集中できる環境でした。
森深いところにある湖のような、静けさと落ち着きを感じ、同時に明るい真昼の光を浴びているような、そんな場でした。


人の成長には限界はないということ。そしてそれを見て、聴いて、感じることが出来る場を持っている私は、なんて恵まれているのだろうか、と、満月の夜道、帰路につきながら思ったのでした。
2006. 01. 13  

お友達の須子はるかちゃん(ジャストレード株式会社社長)が開催した「講師力養成講座」に参加しました。

自分がこれからやって行きたいことについて、思いがありすぎて、何からどう伝えたらいいのかよく分かっていないところが、私にはあると思っています。

一体どの辺りをかいつまんで伝えれば、簡潔に伝わるんだろうか。と、思うのです。

講座では、様々なテーマで、前に立って一分間のプレゼンテーションをする機会がありました。

そして、実際に現場で講師体験をしている方々が受講されていましたので、フィードバックも非常に参考になりました。

なぜ、私が今コーチングを行っているのか?なぜ、教育に関心を持っているのか?

「自分自身を語る上でこれは外せない!」という体験を語る、というプレゼンテーションが最も気づきがありました。

自分の行動の動機付けとなる体験を語ると、どう言う人か分かってもらえて親近感を持ってもらえて、理解され易いと思いました。

これは、数日前にもヒントとなる体験があり、タイミングよく結びつきました。


あまりポジティブな話題ではないので、言い澱んできたことです。話すことで聴く側の方が不快になるかもしれないと思い、なかなか言えなかったのでした。でもこれは、私の単なる思い込みだったようです。

今日聴いてくださった方は、そのようなことは全く気にならないと言ってくださいました。


こちらでも、いずれお伝えできると思います。
2006. 01. 12  

好きなものを朗読する、という機会を得ました。

迷いましたが、サン・テグジュペリの『星の王子さま』を読みました。


「星があんなに美しいのも、目に見えない花がひとつあるからなんだよ」

(中略)

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ・・・」

(中略)

「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは目に見えないのさ」

(中略)

 王子さまが眠りかけたので、ぼくは両腕でかかえて歩きだしました。ぼくは心をゆすぶられていました。まるで、こわれやすい宝を、手に持っているようでした。地球の上に、これよりこわれやすいものは、ないようにさえ感じられるのでした。ぼくは、月の光で、王子さまの青白い光を見ていました。ふさふさした髪の毛が、風にふるえているのを見ていました。そして、いま、こうして目の前に見ているのは、人間の外側だけだ。一ばんたいせつなものは、目に見えないのだ・・・と思っていました。


 感情を込めると涙のたがが外れてしまうので、控えめに読んでしまいました。


 いちばんたいせつなもの。。。

 あなたにとって、一番大切なものは、何ですか?


 一番大切なものを大切にできるような生き方をいつもしていたいものです。



 
  
2006. 01. 11  
哲学が俄かに身近になってきました。

東京コミュニティスクールで毎週水曜日夜に開催されている教育研究会に参加させていただきました。

昨年12月に一週間おじゃました際にも感じましたが、代表の久保一之さん、教育学博士の市川力さん、ナビゲーター、スタッフの皆さんが垣根なく仲間に入れて下さいます。

今回も案の定、到着するなり、ここは私の居場所なのだと錯覚するほど居心地のよさを感じたのでした。


今日の学びの深さは、かつてなく喜ばしいことでした。
「自らの力で考える」機会を与える教育は必要だ、と思ってきましたが、実際に「考える」力を養うための教育を受けることができました。市川さんの教育への愛を感じました。

これほどひとつのことを、とことんつきつめて考えることを促されたのは初めてでした。

答えがいくつも考えられるものを追究する、仮設をたてて検証してみる。…哲学は、コーチングにも文学にも、もちろん経営にも通じるものですね。

認知学習論の「認知」とは何か?これで3時間ほど立ち止まって考えました。

「認知」とは、人は完璧ではない。どうしようもなく思い込みや癖を持って学ぶ。これをどうするか、仮説を立てること。

「認知学習論」において「学習」とは、固定した知識は役に立たない。より良い生き方をするには、常に更新して行かなければならない。積み上げではなく、その都度全部壊すというイメージ。

そして「教師」とは先行知識の再構築をする人。もともと持っている態度、癖をどう広げていくか。

子供の言動をキャッチして「壊す」のか「そのまま」か「のばす」のかの判断をそこでする。


…等、等。

考えに考え抜いて、脳に空白ができた後でしたので、その後が強烈に焼き付きました。

規制の思い込みを壊し続ける必要があるのはどんな場面でも同じですね。

一つの成功体験に固執すると、次なる開発で遅れを取ってしまう企業もあります。

社会も人の関心も常に変化しています。

自らの考えを壊しながら行動できる人がふえたら、社会が柔軟に活気づくように思います。

そして
林憲生さん(ブログ「素のまんま通信」を書かれている方です)の写真展に行きました。自分と自然とが一致したときにシャッターを切られるそうです。心に浸み入る作品でした。抽象的な作品ほど意識の深いところが震えました。

東京コミュニティスクールの皆様、林さま、ありがとうございました。
2006. 01. 10  
人生には、出会うべくして出会う人がいると思います。
そしてこれは、誰との出会いにも当てはまることのように思います。

そして、出会った人と、更に親しくなる時期というのもあるように思います。


今日は、もともとの友人と、更に深くお互いが出会うことが出来た日でした。


以前から、「会おうね」と約束していたのですが、やっと初めて、念願かなって二人で会いました。

やっと会えたね、ということから始まって、いろいろな話をしました。

友人の知らなかった一面、エピソードなどを知っていきました。私の近況、そしてこれからのことを話しました。広い吹きぬけのあるランチ時のレストランでしたが、友人の話があまりにも深い感銘を受ける内容だったので、お互い涙を流しながら語り、聴いていました。

話す前から、その友人は私の変化を分かってくれていました。言葉以外のものをキャッチする感性にはいつも驚かされます。

話をする中から、昨日でも明日でもなく、今日であるということの意味の深さをお互いに感じました。

今日だったからこそ、会えた。今日だったからこそ、お互いのエネルギーを深く交換しあえた。

お互いがそれぞれの学びを経て、苦しんだりもがいたりしながら、楽しんだり、幸せを心から味わったりしながら、新たな地点に立つことができたからこそ、ここで、今日会えたんだね。

と、時の計らいに驚き、感謝しながら、お互いの友情を深め合いました。

人は同じ波動の人と引きあうとか、友達を見るとその人が分かる、などと言われます。今自分のそばにいる人たちはどんな人なのか。

それは、現在の自分の鏡でもありますね。

前から素敵だと思っていた友達と今日会えたことは、私にとって成長を意味することでした。
2006. 01. 09  

 明日からのパステル展の展示に行きました。

 最後に、ポスターを描こう、ということで、2枚のB紙に参加者がめいめいパステルを使って絵を描きました。

 これがほんとうに楽しくて。まさにグループダイナミズムです!

 思いも掛けないような素敵な絵に仕上がりました。更にこの後描き足されましたが、うきうきと弾むような雰囲気、伝わりますでしょうか?

 ひとり、小学校5年生の男の子がお母さんと一緒に来ていました。

 その子にも一緒に声を掛けて描いてもらいました。

 自由に何でも描いていいよ!と言ったら喜んで参加してくれました。
 
 もっともっとのびのび描いてもよかったと思いましたが、それでも発想の柔軟さはさすが、と思います。

 いろいろな世代のひとたちと、一緒に大きな紙に絵を描く。これ、病みつきになりそうです♪

 本日始めてお目に掛かった皆様、ありがとうございました。一緒に展示作業をした皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。



 =『パステル和(NAGOMI)アート』合同展のお知らせです。=

木を基調にした、素敵な和風のアートスペースです。
ご興味のある方は、どうぞお運びください。

今回は愛知県半田市で開催します。入場無料です。

日程:1月10日(火)~31日(火)(月曜日は休館)
時間:11:00~20:00
会場:社会福祉法人むそう アートスクゥエア(一の草病院となり)
   半田市長根町3-11-11 TEL:0569-20-2577
   (交通:名鉄阿久比<あぐい>駅下車、無料駐車場があります)


 
2006. 01. 08  
大阪で開催された、「次世代型教育フォーラム2006」に行ってきました。コーチングに携わっている方々が主体となって開催された教育フォーラムでした。

私は、コーチングを知れば知るほど、子どもの育つ過程に関わる人たちが、こんな風に子どもと関わって行けたら、どんなに素敵だろうか。という思いを持っています。

教えたり、価値を押し付けたり、指示したり命令したりするのではなく、子どもの話す言葉に耳を傾け、どうしたいのか意思を聴き、否定せず、興味関心のあることにトライすることをサポートする。見守って、子どのそのままの姿を認める。


このフォーラムが開催されることに気が付いた時には、分科会は満席でしたので、大ホールで開催された基調講演と、パネルディスカッションのプログラムに参加しました。


教育は今や大げさに言うと一億総教育評論家、とでも言えるくらい、誰しもが関心や問題意識をどこかに持っている分野なのではないか思うときもありますが、会場にもたくさんの人が訪れていました。

感想は、一言で言うと「参加してよかった!」。

岸英光さんの基調講演は、まずは教育からかけ離れたところから始まりました。

「教育」を語る前に、「教育」という枠組みを外すことから始める、というコンセプトで、「パラダイム」のお話をされました。

今までのやり方を変えるのではなく、器ごと、背景ごと変えることが必要という観点です。

「日本では、物事がマイナスになったときにしかものを見ない傾向がある」、ということをおっしゃり、全くそうだなと思いました。問題が起こってから、対処法を考えるケースが多いですよね。

それでは遅いと思います。だからこそ、予防のための学びが欲しい。予防医学や予防カウンセリングというものがありますが、ことが起こる前なら、簡単んに軌道修正できるわけです。ひどいことになってしまってから、対処するには相当なマンパワーや時間、金額を要します。


「Optimal」(理想的な、最良な、最上の)という言葉を挙げられ、教育は本来、ここを目指すものである、日本はノウハウがあっても、結果が出ない国である。知識や方法論を知っていても、ちゃんと行使されていなければ、行動を起こしていかなければ意味がない、とおっしゃいました。


教育に違った切り口を与える → ワクがとれる → 可能性が広がる

そのためには、まず、「やってみてもいいかな?」という許可を与える。そこから行動が生まれ、「試して感じる」ことができる。

「感じる」ことができれば、そこから「探求」が始まる。


「探求」「哲学」なくしては生きた伝承ができない
体験から探求しないから、伝えられないのだ。と、日本人が苦手な「探求」「哲学」の欠乏について言及されました。


更に「答えは一つ」と言う考えはパラダイムであること(これは数年前に私もようやく身に沁みてきました。<参考>戦後の日本教育に二元論を導入したアメリカ人が、晩年、日本人に謝りたい、と言っていたという内容が日経新聞に掲載されていました)。

答えは一つという教育を受けると、答えが一つあるのが前提となり、外側に答えを探すことになる。自分で作り出す、自分で編み出すことができなくなる。
この構造は「依存」を産む。「答えを下さい」病になる。

だから世の中にはティーチとコーチが必要である。


コーチは魚つりをしている人に、魚を捕ってあげるのではなく、
魚の取り方を教えるのでもなく、
魚の取り方を相手に編み出させる人。

すると勝手に人は伸びはじめる。

それがいきいきとした活力、バイタリティである。


探求とは、「知っている」という前提ではなく「知らないのかも」という前提に立つと早い。

失敗してもいい、それを味わうことができればいい。
味わう場を提供できれば教育になる。

弱さがあっても怖さがない世界・社会

を文化的と定義し、ここを目指さないと考えがぶれてしまうだろうとおっしゃいました。


講演を聴きながら、昨年訪れた学校が思いだされました。東京コミュニティスクール、ラーンネットグローバルスクール、ドリームプラネットインターナショナルスクール、ベトナムこどもの家。

みな、自然発生的に沸いてくるものを大切にしていました。まさに「待つ」ということをしていました。「答えがたくさんある」ということや「感じる」ことに重点を置いていました。


すべてが繋がってきて、私の中でまた新たな視点ができ、本当に充実した一日でした。

体中で感じて、考えて、くたくたになったので、食い倒れの街大阪では「食道楽」に走らず、まっすぐに帰ってきました。

講演で伺った「バイタリティのサイクル」、私自身がまわしながら、子どもや、大人の心の中にいる子どもに関わって行こう、とつくづく思ったのでした。

2006. 01. 07  

脳には、人称がないと言われます。「わたし」とそれ以外の人の区別がつかないのです。

だから、誰かのことを悪く言うと、そのまま脳は自分のこととして受け止めます。自分を悪く悪く言っていることになるのです。

そして脳は、自分の内なる言葉、内的対話に最もマインドコントロールされ易いのです。。

逆を言うと、褒め上手の人は、誰かを褒めるのと同時に自分自身を褒めていることになり、自分へのプラスの言葉により、ますます素敵になっていくのです。

誰かのことを「素敵な人だね」と言っていたら、同時に自分にも「素敵な人」という承認をプレゼントしていることになります。

褒めた相手の方も嬉しくなり、相手に投げかけた言葉により自分も磨かれる。相乗効果、一石二鳥ですね。

コーチングを学び始めてから、ものごとをポジティブに捉える方々に多く出会い、とても恵まれた環境にいるなあとつくづく感謝しています。

毎日をポジティブな言葉たちで囲まれていたら、自分から自然とでてくる言葉も、思考もポジティブになります。


シャイなニホンジン、他国に比べると褒め言葉をあまり言わない日本人である私たちも、ちょっと勇気を出して、あ、いいな。と思ったことを口に出し言って行きましょう♪


「誰かをほめると自分をほめたことになる」と聴いたとき私は、ああ、これでいいんだなあ、とほっとしたのでした。


2006. 01. 06  
今年の私のBeing。

「樹」になる、、、と思っていましたが、

今日、「炎」であることが判明しました!

今年の私は、炎として、人々が集まり、輪を作って心を交流させる場をつくる人になります。

そこで人は、歌い、語らい、笑いあい、世代から世代への伝承がなされたり、気持ちを分かち合ったりしているというイメージです。


大自然に触れると、その偉大さに畏敬の念を持ちます。そしてそこに生かされていることに気づき、感謝と奇跡を感じます。

そして視点を転じてみれば、人間も大自然の一部なのですよね。
動物という自然の中の生き物の一種。

だからこそ、人と向き合うときには、大自然があたかもその人の中にあるかのごとく、その偉大さに畏敬の念を持つ。人の可能性の大きさを感じます。




2006. 01. 05  
インプロ(即興劇)の勉強会に行きました。

簡単なワークをしてから、ひとりひとりがじっくりと振り返りをしました。

一人一人の思考の違いが明らかになったり、自分の無意識の思考、行動パターンを知ることが出来たり。

学びの深い時間となりました。


何でもそうですが、やりっ放しではなくて、やって見た後で、どう感じたのか、自分の何に気が付いたか、どんなところに焦点が当たっていたのか、などを振り返る時間を持つことは、大切ですね。


そうした意味で、日記をつけることは効果があると思います。

気づきの日記

自分を褒める日記

出来事だけを書き綴る日記

などとテーマを絞って書いていたこともあります。

書くということをしていると、話す行為と同じく、頭が整理されてきます。書きながら、「あ、こういうことを考えていたんだ!」「そうそう、これこれ!」などと、新たな発見が続々と出てくるという経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

また、その時に気づかなくても、後から読み返すとへえーー。と、思うこともあるものです。

書くことをしていると、表現する言葉として、語彙も増えるのではないでしょうか。

語彙が豊富な人ほど成功しているとも言われます。



私は、書きたい気持ちが沸いたときだけ書くという「ぼちぼち日記」をノートに書き続けています。振り返って読むと、自分の変化が見渡せる感じがして、なかなか面白いものです。
手帳に1~3行程度の短い日記をかくのもいいですよね。


・・・そういえばこのサイトは「楽天日記」という名前でした。。。


皆さんは、どんな日記を書いていらっしゃいますか?

2006. 01. 04  
パステル画の描き初めをしました。

今年初めての左手画です。

BGMを聴きながら、眼を閉じて、深呼吸をして、無心になってから描きます。

描き終わると、毎回すっきりした気持ちになります。

今日のBGMは、WON WING TSANの「FRAGRANCE」と言うアルバムの「Indian Summer」です。



=パステル和(NAGOMI)アート合同展のお知らせです。=

昨年12月に東京都新宿区で開催され、私も出展ましたが、こちらのブログではご案内していませんでした。今回は忘れずご案内いたします。
お近くの方やご興味の或る方は、どうぞお運びください。

今回は愛知県半田市で開催します。入場無料です。

日程:1月10日(火)~31日(火)(月曜日は休館)
時間:11:00~20:00
会場:社会福祉法人むそう アートスクゥエア(一の草病院となり)
   半田市長根町3-11-11 TEL:0569-20-2577
   (交通:名鉄知多半田駅下車、無料駐車場があります)




2006. 01. 03  

 ”蓮の花は泥沼に咲く”

 という言葉に、改めて出会っています。


 泥沼に生え、決して泥には染まらず、まっすぐに咲く。
 独特の芳香を持っている。
 古く印度の頃から神聖な花として尊ばれた蓮。



 4年ほど前に、選んで買った曼荼羅の絵ハガキの裏に、”蓮の花は泥沼に咲く”という言葉が書かれていました。その絵ハガキが、久しぶりに出てきています。



 あるがままの心で生きるのは、とても難しいことなのかも知れません。

 勇気が必要かもしれないし、危険やリスクを伴うことなのかもしれません。

 お正月から、暗いニュースもありました。決して手放しで世界は美しいとは言いきれないところもあります。そこに目を瞑りつづけることは出来ません。

 もしも今の世の中や、今置かれている状況や、今の自分の内面が泥沼なのだとしても、蓮の花のように、泥沼の中から栄養を取って、水面上に汚れのない美しい花を咲かせることができる。更に美しい香りまで纏って。

 
 そう思ったら、俄然勇気ややる気や、立ち向かう力が沸いてきます。

 
 嘆くのではなく、そこから栄養を吸収する。そこから学び、そこで生きる。



 あなたは今、どんな花を咲かせていますか?


 そしてこれから、どんな花を咲かせたいですか?
 
2006. 01. 02  

 初夢、見られましたでしょうか?

 夢は、ほんの2,3秒で長い長いストーリーを見ているといいます。
 
 右脳で夢をみるといわれますが、左脳対右脳の働きは、一説によると1:20,000です。


 右脳を活用して、初夢に負けず劣らず願いを実現できるイメージング。
 世の中でよく言われていますから皆様もご存知の方も多いと思いますが、ちょっとやってみましょう。


 今年の終わりには、どんなところにいて、どんな風に一年を振り返っているでしょう?

 どんな気持ちで一年を振り返っていたいですか?

 新たにどんな信念や価値観を得ましたか?

 そのときのあなたは、何者なのでしょう?


 右脳を使って、たくさんイメージしましょう。イメージ力は、あなたが持っている大いなる資源です。イメージしたとおりのものを、人は引き寄せます。


 一年後のあなたを振り返った時、何が見えますか?


 何が聴こえますか?
 

 何を感じていますか?


 それは、体のどこで感じますか?


 ・・・欲張っていいです。とてつもなく遠いゴールでいいのです!

 びっくりするくらいのゴールの方が、脳が活性化されて、どうにかしてそのゴールへたどり着けるようにと働き始めます。

 ちょっと手を伸ばせば届くくらいのゴールだったら、発想の転換がされないのです。あなたの持っている脳の資源が活用されないのです。

 
 肝心なのは、いかにそのイメージを潜在意識に落しこむか。

 そして、そのゴールが達成出来ると心から信じ込むことができるか。

 この2つだと思います。


 と言うわけで、私は今年、人が育つ流れを変える人として、日本の大人と子どもの教育を変えていきます。
プロフィール

コア・クリエーションズ 大江亞紀香

Author:コア・クリエーションズ 大江亞紀香
その方のコアからの人生の創造を支援するため、コーチング、NLPを軸に活動しています。

1.自分(存在)を掘り下げ
2.そこから未来を描き、目標を定め
3.人生をクリエイト(創造)する

この道程を通ることで、周囲に振り回されることなく、充実した、幸せな人生を手にすることができると信じ、この課程を支援しています。

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