2005.
11.
30

私の現在のコーチは、NLPトレーナーでもあります。
昨日日記に書きました、大学の入学手続きに行くか否かについて、コーチングでほぼ結論を出した後で、更にNLPのタイムラインで潜在意識との対話をする機会を設けてもらいました。
それぞれの選択肢について体の感覚を聞いて行きます。
・・・明らかに、潜在意識が出していた結論は、「大学には行かない」でした。明確に意識でもそれをキャッチできて、すっきりさっぱりしました。
はっきり言って、前々から行かないと決めていたのですが、思わず合格通知を前に、考えてしまっていたのでした。
決断とは、手放すものを決めること。そんな言葉を聴きますが、手放して、手放して、これでもかというくらい手放してシンプルになって、ちょうどいいくらいなのかもしれません。
モノも情報も、生き方の選択肢も多い世の中に生きている私です。
モノは少ない方が幸せなのではないかと、最近思っています。
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2005.
11.
29
旅に出ている間に、受験していた大学から、合格通知が届いていました。
今、迷っています。
現代社会学部3年次の編入学試験を実は10月に受けました。
願書を出したのは、9月。まだ勤めていた頃です。
二次試験の面接は11月。既に自分の人生を生きはじめてみると、大学に行くことに少し迷いが出ました。それが明らかに面接時の受け答えに出ていたと思います。
潜在意識は、大学に行く必要はないと、言っていると思いました。
が、大学に編入学することは、短大を卒業するころからの夢でもありました。
・・・その夢を実現する切符が手元にあります。
入学手続きは明後日。
もう一回潜在意識によく聴いてみます。
2005.
11.
28
久しぶりに日本で目を覚ましました。
毎朝目覚める度に、バイクの音、クラクションの音に包まれていたベトナム。今朝はその音が聞こえません。
あれ?今日はどこにいるんだっけ??と一瞬思いましたが、ほどなく自宅にいることが分かりました。
なぜか寂しい気持ちが沸きました。
ベトナム子どもの家で出会った子どもたち。ホームステイした家族。日本語学校で熱心に学んでいた多くの大人たち。日本語でガイドしてくれた現地の方。路上で目が合った人。お店の人。市場の人。
活気と屈託のない笑顔。今回の旅は、いい出会いに恵まれました。人間に出会いに行く目的でしたから言うまでもないのですが、多くの出会いがありました。
自室のパソコンを開こうとして、机をみて、何だかなつかしさを感じました。
ああ、帰ってきたんだな、と思いました。
旅に出ている間に、広島県で少女が殺害される事件があったことを知りました。旅先で出会った、ベトナムに長く住んでいらっしゃる日本の方が、「今の日本は病んでいる」と言われました。
確かにそうかもしれません。でもその病んだ社会を作っている一人がまぎれもなく私自身なのです。辛い事件のことを思うと、苦しくて心が焦ります。そんな事件が起こらない世の中にしたいと思ってしまいます。まず今の日本で、どんなに微力でも、私にできることをしていこう、と改めて思いました。
日本も、アジアも、世界も、人も自然も、WIN-WINでいられるといいなと思います。
2005.
11.
27
お久しぶりです。
ベトナム一人旅から帰国しました。
たった2週間でしたが、多くのベトナムの方々と交流し、たくさんの豊かなものをもらってきました。
子どもたちはじめ多くの方々の笑顔。素敵でした。
ベトナムの人たちには、人懐っこくて、フレンドリーで、素直という印象を持ちました。また、熱心で器用でもありました。
まず南部のホーチミンに入って、中国系ベトナム人の家庭に5泊しました。その後中部の古都フエで6泊し、「ベトナム子どもの家」という日本のNGOが主催するストリートチルドレンの施設で子どもたちと過ごしました。最後に北部の首都、ハノイで一日観光をして帰国した次第です。
毎回空港に着く度に、日本語を話せる方が迎えにきてくださり、宿泊先まで案内して頂いたのですが、最終地のハノイでは、「ベトナム人かと思って、分かりませんでしたよー。ほんとにベトナム人みたいですね!」と2人の人に言われてしまうほと、現地に溶け込んでしまっていました(?!)
詳しくは少しずつ紹介します。まずは帰国の第一報まで。。。
ベトナム一人旅から帰国しました。
たった2週間でしたが、多くのベトナムの方々と交流し、たくさんの豊かなものをもらってきました。
子どもたちはじめ多くの方々の笑顔。素敵でした。
ベトナムの人たちには、人懐っこくて、フレンドリーで、素直という印象を持ちました。また、熱心で器用でもありました。
まず南部のホーチミンに入って、中国系ベトナム人の家庭に5泊しました。その後中部の古都フエで6泊し、「ベトナム子どもの家」という日本のNGOが主催するストリートチルドレンの施設で子どもたちと過ごしました。最後に北部の首都、ハノイで一日観光をして帰国した次第です。
毎回空港に着く度に、日本語を話せる方が迎えにきてくださり、宿泊先まで案内して頂いたのですが、最終地のハノイでは、「ベトナム人かと思って、分かりませんでしたよー。ほんとにベトナム人みたいですね!」と2人の人に言われてしまうほと、現地に溶け込んでしまっていました(?!)
詳しくは少しずつ紹介します。まずは帰国の第一報まで。。。
2005.
11.
18
旅は人生に似ている。人生は旅に例えられるが、逆もまた然り。
出会う人、別れる人。出会いと別れが短期間に訪れる。その期間の長さが違うだけなのだ。ホストファミリーとも、もうお別れ。明日朝5時にここを発つ。
切なくなる。
フンさんに、「次はいつ来るの?」と尋ねられる。予定は何もない。「5年後かな?」と言うと「えーーーっっ!5年後?!」と驚かれる。「3年後くらいかな?」と言っても不服そうだ。
リンさんは、丁寧に「ありがとう」と言いにきた。(この滞在は)短すぎるよ、とぽつんと言った。
今日出会った市内観光のガイドさん。会うなり人の年齢を聞いてきたので、ちょっと失礼な気がしたが、こちらの挨拶のようなものらしいと後で分かる。日本文学を学んだと言うことで、すっかり意気投合していた。俳句や川端康成を学んだのだと言う。芭蕉の俳句を一生懸命に思いだして、披露してくれた。
観光時間を過ぎてしまったため、車の運転手を帰して、ガイドさんのバイクでステイ先まで送ってもらう。さすがにホーチミン市内をバイクの後ろに乗って走るのにも慣れて来た。
時間があったら、私のともだちで日本文学を大学で教えている人を紹介したいと言っていた。こんな出会いにも心から感謝したいが、別れはすぐに訪れる。
あたたかかったステイ先の両親。言葉は通じないが、何かと気遣いしてくれた。ベトナムの女性は気が強いと言われるが、確かにお母さんは気が強そうだった。しかし私には親切だった。
ライチのようなフルーツを食後に持ってきてくれたお父さん。皮が硬くて剥けなかったのだが、それを見ていて、丁寧にひとつひとつ皮をむいて手渡してくれた。
16歳と言われても、どうしても12歳にしかみえないお手伝いさんも、心打ち解けて、皆で自然に食卓を囲んで過ごしていた。
9歳のロンくんも、「私もどらえもんが好きだ」、ということから打ち解けることができた。ロンくんはたくさんのドラえもんのマンガ本を持っていた。この家は豊かだ。
仲良くなってきたところで、もうお別れなのだ。
私の前にいつかこの家に滞在した人が残して行ったものだろう。
滞在している部屋の外に「一期一会」と書かれた書が貼ってある。
ハード面ではない。スケジュールではない。
ソフトの面、人間、ハート、たましい。
それらに照準を合わせていくと、この旅はどのように展開していくのだろうか。
明日、中部の町フエへ行く航空券が予約してある。
スケジュールに縛られている私がいるのを知りつつ、あらかじめ自分で決めたスケジュールに従って、明日はこの家を去る。
夜、リンさん、フンさんと、リンさんの友達たちと行ったカラオケボックス。赤ちゃん連れの夫婦もいた。中国語と英語の歌ばかりだったが、楽しくひとときの交流を楽しんだ。
旅での出会いも必然なのだとしたら、多くのベトナムの方との出会い、思いがけないたくさんの好意に恵まれたことに心から感謝。
多くの人に支えられて生きていることに、改めて、ありがとうございます。
本当にありがとうございます、皆さま。
カラオケボックスの4階の廊下の窓から見る月は、満たされたようなまんまるでした。
テレサ・テンと荻野目洋子の歌が、歌えました。
2005.
11.
16
メコン川クルーズに行く。
ヒットさんという、日本語が話せるベトナム人がステイ先に迎えに来た。ヒットさんと、スラムのような家の前の小道を歩いてツアーの車まで行く。誰かと一緒じゃないと、ここは通れない。
日本からきた母子と3人のツアーだ。
郊外へ向かう。店が多い。バイクの部品屋、カフェ、雑貨屋、食べもの屋、洋服屋・・・次に水田が広がる。ここは一年に3回米が獲れるそうだ。水田の合間にやしの木・・・日本とは似て非なる光景だ。
ミトーで一番古い仏教のお寺を観光。フランス風の建築だ。中で食事を作っている。さまざまなおかずが一人用の小皿に盛られている。無料で誰にでも振舞われるらしい。
メコン川の船着場にいく。濁っているが、大きな川幅。映画「ラ・マン」で見たとおりのたっぷりとした水をたたえた川だ。
船に乗る前に、帽子を忘れたので120円でキャップを買う。こちらの女性はよくキャップを被っているので、郷に従う。要はまねっこである。
中洲に着いたら、カフェに入って、さまざまなフルーツを食べる。ザボンとドラゴンフルーツ、パイナップルがおいしい。南国だけあって、たわわに大きな実がなっている木がある。あくせくしなくても、食べるのに困らない地域のようだ。人も陽気で人懐っこい。目が合うとにこっと笑う。カメラを向けても、嫌がらないばかりか、さらに笑顔を向けてくれる。
ここには、鶏が放し飼いになっている!!!!
「にわとりがいるー!」と、慌ててマスクをする。
が、ガイドは「大丈夫ですよ」と平然としている。
田舎はのんきだ。
ホーチミンから出るときには、公安(警察)が鶏を持ち込んでいないかチェックしていたのに。
手こぎボートに乗り換えてジャングルクルーズ。
昼食は、ミトーの寺院でみた「エレファントフィッシュ」なるものを食べる。グロテスクだがおいしい。
ツアーの後、街で解散にしてもらい、一人でショッピングする。洋服屋。ワンピースとブラウスのデザイン見本を選び、布を選ぶ。採寸をして、自分にぴったりのサイズの洋服を24時間で作ってくれる店だ。ベトナム人は器用らしい。安価で作れた。出来上がりのイメージがやや不安だが、まあいい。旅の記念だ。
帰宅時間を5時と言っていたのだが、既に5時になってしまった。帰りが30分遅くなるとステイ先に電話する。しかし、お父さんが出ているのか、英語で話しかけると「No,I don't know」の返事しか返ってこなくて、間違い電話なのだか、お父さんが、英語が話せないためにこのような返事になってしまうのかさえ分からない。2回かけても同じ。電話はあきらめた。
タクシーでステイ先に帰る。心配なので流しは止めて、シェラトンホテルから乗る。またラッシュアワー。激しい渋滞。ひっきりなしに鳴るクラクション。30分乗ってステイ先の傍までついた頃には、既に真っ暗になっていた。
近くまで着いて、運転手が車を降りて、近くを歩く人にステイ先の住所を尋ねる。中に乗っている外国人の私を、人々が興味深げに見る。運転手は、私の席の傍の扉の前に立ち、わたしをかばうようにして、道を尋ね続ける。
家の前までタクシーで入って行けない、と運転手が言う。
ステイ先の住所と電話番号を書いた紙を渡していたので、運転手が携帯から電話してくれる(ベトナムは、冷蔵庫や洗濯機は全家庭に普及していないが、テレビと携帯電話はかなり普及している)。家の人が迎えにきてくれる、と教えてくれた。その間も、運転手は私のいる扉の前に立って、私を守ってくれている。ああ、いい運転手でよかった。中には不当な料金をふっかけてくる運転手もいると聴いているが、いいタクシー会社と良い運転手に出会ったものだ。
少しして、リンさんがバイクで迎えに来る。あのかわいらしい顔を見た時、心底ほっとした。そこからバイクに二人乗りして、3分ほどで家に着いた。
家に帰ると、「さっき家に電話くれた?」とリンさん。したよ、と答えると、お父さんが出てね。とのこと。お父さんがでてきて、さっきはごめんねとゼスチャーする。ああ、なんだよかった。「心配した?」とリンが聴いてくる。結構細やかに気遣ってくれるのだ。「いや、逆に帰りが遅くて心配していると思って」と言うと、心配しなくて良いのよ、とのことだった。ほっとする。
次男の龍(ロン)くんに会う。パソコンでゲームに夢中だ。この後、家庭教師が2件立て続けに来るらしい。すごく勉強させられている。よそ者の私に、ちょっとかたくなだった。
街の子はけっこう受験戦争で大変らしい。ガイドさんのご両親は教師で、子供の頃勉強しなさいとかなり叱られたそうだ。
義務教育は小学校の5年間。その後中学校が4年、高校が3年ある。高校進学率は45%、大学は20%だそうだ。
18歳から25歳の間に2年間、徴兵制がある。大学に行くと、兵役を逃れられる。
ベトナム人の平均給与は一ヶ月に6千円。大卒の初任給は5千円だそうだ。
ヒットさんという、日本語が話せるベトナム人がステイ先に迎えに来た。ヒットさんと、スラムのような家の前の小道を歩いてツアーの車まで行く。誰かと一緒じゃないと、ここは通れない。
日本からきた母子と3人のツアーだ。
郊外へ向かう。店が多い。バイクの部品屋、カフェ、雑貨屋、食べもの屋、洋服屋・・・次に水田が広がる。ここは一年に3回米が獲れるそうだ。水田の合間にやしの木・・・日本とは似て非なる光景だ。
ミトーで一番古い仏教のお寺を観光。フランス風の建築だ。中で食事を作っている。さまざまなおかずが一人用の小皿に盛られている。無料で誰にでも振舞われるらしい。
メコン川の船着場にいく。濁っているが、大きな川幅。映画「ラ・マン」で見たとおりのたっぷりとした水をたたえた川だ。
船に乗る前に、帽子を忘れたので120円でキャップを買う。こちらの女性はよくキャップを被っているので、郷に従う。要はまねっこである。
中洲に着いたら、カフェに入って、さまざまなフルーツを食べる。ザボンとドラゴンフルーツ、パイナップルがおいしい。南国だけあって、たわわに大きな実がなっている木がある。あくせくしなくても、食べるのに困らない地域のようだ。人も陽気で人懐っこい。目が合うとにこっと笑う。カメラを向けても、嫌がらないばかりか、さらに笑顔を向けてくれる。
ここには、鶏が放し飼いになっている!!!!
「にわとりがいるー!」と、慌ててマスクをする。
が、ガイドは「大丈夫ですよ」と平然としている。
田舎はのんきだ。
ホーチミンから出るときには、公安(警察)が鶏を持ち込んでいないかチェックしていたのに。
手こぎボートに乗り換えてジャングルクルーズ。
昼食は、ミトーの寺院でみた「エレファントフィッシュ」なるものを食べる。グロテスクだがおいしい。
ツアーの後、街で解散にしてもらい、一人でショッピングする。洋服屋。ワンピースとブラウスのデザイン見本を選び、布を選ぶ。採寸をして、自分にぴったりのサイズの洋服を24時間で作ってくれる店だ。ベトナム人は器用らしい。安価で作れた。出来上がりのイメージがやや不安だが、まあいい。旅の記念だ。
帰宅時間を5時と言っていたのだが、既に5時になってしまった。帰りが30分遅くなるとステイ先に電話する。しかし、お父さんが出ているのか、英語で話しかけると「No,I don't know」の返事しか返ってこなくて、間違い電話なのだか、お父さんが、英語が話せないためにこのような返事になってしまうのかさえ分からない。2回かけても同じ。電話はあきらめた。
タクシーでステイ先に帰る。心配なので流しは止めて、シェラトンホテルから乗る。またラッシュアワー。激しい渋滞。ひっきりなしに鳴るクラクション。30分乗ってステイ先の傍までついた頃には、既に真っ暗になっていた。
近くまで着いて、運転手が車を降りて、近くを歩く人にステイ先の住所を尋ねる。中に乗っている外国人の私を、人々が興味深げに見る。運転手は、私の席の傍の扉の前に立ち、わたしをかばうようにして、道を尋ね続ける。
家の前までタクシーで入って行けない、と運転手が言う。
ステイ先の住所と電話番号を書いた紙を渡していたので、運転手が携帯から電話してくれる(ベトナムは、冷蔵庫や洗濯機は全家庭に普及していないが、テレビと携帯電話はかなり普及している)。家の人が迎えにきてくれる、と教えてくれた。その間も、運転手は私のいる扉の前に立って、私を守ってくれている。ああ、いい運転手でよかった。中には不当な料金をふっかけてくる運転手もいると聴いているが、いいタクシー会社と良い運転手に出会ったものだ。
少しして、リンさんがバイクで迎えに来る。あのかわいらしい顔を見た時、心底ほっとした。そこからバイクに二人乗りして、3分ほどで家に着いた。
家に帰ると、「さっき家に電話くれた?」とリンさん。したよ、と答えると、お父さんが出てね。とのこと。お父さんがでてきて、さっきはごめんねとゼスチャーする。ああ、なんだよかった。「心配した?」とリンが聴いてくる。結構細やかに気遣ってくれるのだ。「いや、逆に帰りが遅くて心配していると思って」と言うと、心配しなくて良いのよ、とのことだった。ほっとする。
次男の龍(ロン)くんに会う。パソコンでゲームに夢中だ。この後、家庭教師が2件立て続けに来るらしい。すごく勉強させられている。よそ者の私に、ちょっとかたくなだった。
街の子はけっこう受験戦争で大変らしい。ガイドさんのご両親は教師で、子供の頃勉強しなさいとかなり叱られたそうだ。
義務教育は小学校の5年間。その後中学校が4年、高校が3年ある。高校進学率は45%、大学は20%だそうだ。
18歳から25歳の間に2年間、徴兵制がある。大学に行くと、兵役を逃れられる。
ベトナム人の平均給与は一ヶ月に6千円。大卒の初任給は5千円だそうだ。
2005.
11.
15
朝8時、大音響の音楽で目を覚ます。
昨夜12時過ぎに到着して、中国系ベトナム人の家庭の一室に眠った。ベトナムの中流家庭宅にステイすることを日本で申し込んできた。思ったより綺麗で広い部屋だ。ベトナム人は早起きだというが、8時では随分寝坊だったようだ。音楽に叩き起こされた。
真夏だ。日本ほど湿気はないが、日差しは強そうだ。Tシャツに着替える。
朝食の麺がおいしい。こちらは皆朝食には麺類(ベトナムのうどんやラーメン)を食べるようだ。それにしても、私一人が食べている。他の家族の朝食は?と聴くと、長女の蓮(リン)さんは、「私は食べない」という。ダイエットしているらしい。他の家族は?と聴くと、「皆外の屋台で食べる」とのこと。私だけに作ってくれたのだ。
リンさんはとてもかわいらしい控えめな面のある女性だ。接していて感覚的に違和感がない。同じ長女でもあり、似た面があるのかもしれない。
リンさんは、英語と少しの日本語ができる。
次女の香(フン)さんは、英語が堪能だ。中国系だから、家族は皆ベトナム語の他に広東語もできる。
・・・私も、英語くらいまともに話せるようになろう、と反省する。
4階建ての家。周囲は中国系の人々の家だ。貧しい家もあり、家の外でイモを一日中むいているのが仕事らしい人たちがいる。他にも家の外で働く人がいて、家の中は安全だが、往来は貧しい雰囲気。怖くて一人で家の外に出られない。
この家のお父さんは自宅で化学肥料を売っている。自営業だ。次女のフンさんはそれを手伝っている。長女は来月結婚するということで、家事手伝い、お母さんはバトミントンに出かけている、ということから察するに、専業主婦だ。長男はノルウェイでコックをしている。次男(9歳)は小学校に行っている。
家にいる家族は皆のんびりしている。お父さんは一階にある立派な色とりどりの仏壇を丁寧に掃除している。リンさんとおしゃべりしていたが、リンさんが市場へ買いものに出かけたのでフンさんとおしゃべりをする。この親子は一体、いつ働くんだろうか。と、日本との時間の流れ方の違いにすこし戸惑う。
店でもあるため玄関が開いているので、時々宝くじを売るおばあさんが入ってくる。
フンさんがいらないと断る。
しばらくすると、また別の宝くじ売りのおばあさんが来る。宝くじが文化となっているのは日本と同じか。
往来を行く近所の人も、珍しい人が座っているというので、私を覗き込んで行く。
入ってすぐに在るキッチンテーブルの上に、さまざまな果物や干物、お餅のお菓子などが載っている。果物のいい香りがする。余り整理したり片付けたりしないらしい。そして、テーブルの上をたくさんの蟻が歩いている。
長女のリンさんが日本語学校に通っているというので、一緒に行って見学したいと言ってみる。午後2時30分から行くことになった。
午後まで随分時間が在る。それまでの間に街へ出てみようかと思って、リンさんに言うと「ええーっ、お昼ごはん食べてからにしたら?」と言われる。
時間感覚の違いだろうか。
リンさんが一時間30分くらいかけて料理してくれた昼食を4階のベランダで食べる。
魚2匹が焼いてある。肉とえびがいためてある。青菜炒めがある。お茶碗にご飯をよそってくれる。おいしい!リンさんは料理学校で先生をするときも在るというが、これはおいしい。
お父さんがおかずを取って、私のお茶碗のごはんの上に乗せてくれる。こうして食べるのだな、と思って、取ってもらうとおりにする。
ベトナム人は遠慮を嫌うらしいので、好意に甘える。
食後、まだ2時30分まで一時間ある。街へ出ようとするが、少し頭痛がする。疲れたようだ。ベトナムの習慣に習って、昼寝する。
出かける時間だ。何と、いきなりリンさんの運転するバイクの後ろに乗って出かけることになった。ヘルメットをこちらの人は被らない。しかもホーチミン、ベトナムで一番交通量が多い街!おおー、緊張する。大丈夫か?
7分丈のパンツにサンダル履きで、30分も往来の多い道をバイクで二人乗りする。転んだら大怪我だ。リンさんのまねをして、日本から持ってきたSARS対策のマスクをつける(リンさんにとって、マスクは日焼け防止のためだったと後で知る)。足を乗せるところと、持つところを教えてもらって、出発!家の外は、私から見るとまるでスラムだ。そこをバイクで走りぬけて行く。
大通りに出る。バイクだらけ。全身に力が入る。現地の人に見られているかな?ひったくりに狙われないかな?
ものすごいクラクション。うるさいしほこりっぽい。信号は誰も守らない。何だか暴走族って、こんなふうに走っているのだろうか?と、暴走族の視点になった気分で、リンさんの肩ごしに後方へ流れる街をみて、暑い日差しとぬるい風を感じている。
日本語学校に着く。上級クラス。他に4人の生徒がいて、ベトナム人の先生がいる。トヨタで働くために勉強中の女性がいた。まだ若い。20代前半くらいだろう。しっかりしている。
日本人の先生は、資格を持っていないが、ここへ来たら採用されたのだそうだ。校長らしい方も日本人だった。
皆爽やかで、学ぶことを楽しんでいる感じだった。上級クラスだけあって、比較的スムーズにコミュニケーションできる。それにしても、ベトナムの女性はおしゃれだ。ステイ先の2人の娘さんたちもおしゃれだが、街ゆく人も、日本語を学んでいる生徒さんたちもおしゃれ。
ひったくり、スリ対策として、日本人と悟られないようにとTシャツとジーパン、リュックサックしか持って来なかった私が、一番おしゃれから程遠い格好をしている。ちょっとベトナムを誤解していた。
授業が終わって、またバイクに乗って帰る。ラッシュアワーだ。ものすごい数のバイク、バイク、バイク。そしてひっきりなしにあちこちから聞こえるクラクション、クラクション、クラクション。。。神経を使ったのだろう。帰宅して食事が終わったら、あっという間に眠ってしまったzzz。
昨夜12時過ぎに到着して、中国系ベトナム人の家庭の一室に眠った。ベトナムの中流家庭宅にステイすることを日本で申し込んできた。思ったより綺麗で広い部屋だ。ベトナム人は早起きだというが、8時では随分寝坊だったようだ。音楽に叩き起こされた。
真夏だ。日本ほど湿気はないが、日差しは強そうだ。Tシャツに着替える。
朝食の麺がおいしい。こちらは皆朝食には麺類(ベトナムのうどんやラーメン)を食べるようだ。それにしても、私一人が食べている。他の家族の朝食は?と聴くと、長女の蓮(リン)さんは、「私は食べない」という。ダイエットしているらしい。他の家族は?と聴くと、「皆外の屋台で食べる」とのこと。私だけに作ってくれたのだ。
リンさんはとてもかわいらしい控えめな面のある女性だ。接していて感覚的に違和感がない。同じ長女でもあり、似た面があるのかもしれない。
リンさんは、英語と少しの日本語ができる。
次女の香(フン)さんは、英語が堪能だ。中国系だから、家族は皆ベトナム語の他に広東語もできる。
・・・私も、英語くらいまともに話せるようになろう、と反省する。
4階建ての家。周囲は中国系の人々の家だ。貧しい家もあり、家の外でイモを一日中むいているのが仕事らしい人たちがいる。他にも家の外で働く人がいて、家の中は安全だが、往来は貧しい雰囲気。怖くて一人で家の外に出られない。
この家のお父さんは自宅で化学肥料を売っている。自営業だ。次女のフンさんはそれを手伝っている。長女は来月結婚するということで、家事手伝い、お母さんはバトミントンに出かけている、ということから察するに、専業主婦だ。長男はノルウェイでコックをしている。次男(9歳)は小学校に行っている。
家にいる家族は皆のんびりしている。お父さんは一階にある立派な色とりどりの仏壇を丁寧に掃除している。リンさんとおしゃべりしていたが、リンさんが市場へ買いものに出かけたのでフンさんとおしゃべりをする。この親子は一体、いつ働くんだろうか。と、日本との時間の流れ方の違いにすこし戸惑う。
店でもあるため玄関が開いているので、時々宝くじを売るおばあさんが入ってくる。
フンさんがいらないと断る。
しばらくすると、また別の宝くじ売りのおばあさんが来る。宝くじが文化となっているのは日本と同じか。
往来を行く近所の人も、珍しい人が座っているというので、私を覗き込んで行く。
入ってすぐに在るキッチンテーブルの上に、さまざまな果物や干物、お餅のお菓子などが載っている。果物のいい香りがする。余り整理したり片付けたりしないらしい。そして、テーブルの上をたくさんの蟻が歩いている。
長女のリンさんが日本語学校に通っているというので、一緒に行って見学したいと言ってみる。午後2時30分から行くことになった。
午後まで随分時間が在る。それまでの間に街へ出てみようかと思って、リンさんに言うと「ええーっ、お昼ごはん食べてからにしたら?」と言われる。
時間感覚の違いだろうか。
リンさんが一時間30分くらいかけて料理してくれた昼食を4階のベランダで食べる。
魚2匹が焼いてある。肉とえびがいためてある。青菜炒めがある。お茶碗にご飯をよそってくれる。おいしい!リンさんは料理学校で先生をするときも在るというが、これはおいしい。
お父さんがおかずを取って、私のお茶碗のごはんの上に乗せてくれる。こうして食べるのだな、と思って、取ってもらうとおりにする。
ベトナム人は遠慮を嫌うらしいので、好意に甘える。
食後、まだ2時30分まで一時間ある。街へ出ようとするが、少し頭痛がする。疲れたようだ。ベトナムの習慣に習って、昼寝する。
出かける時間だ。何と、いきなりリンさんの運転するバイクの後ろに乗って出かけることになった。ヘルメットをこちらの人は被らない。しかもホーチミン、ベトナムで一番交通量が多い街!おおー、緊張する。大丈夫か?
7分丈のパンツにサンダル履きで、30分も往来の多い道をバイクで二人乗りする。転んだら大怪我だ。リンさんのまねをして、日本から持ってきたSARS対策のマスクをつける(リンさんにとって、マスクは日焼け防止のためだったと後で知る)。足を乗せるところと、持つところを教えてもらって、出発!家の外は、私から見るとまるでスラムだ。そこをバイクで走りぬけて行く。
大通りに出る。バイクだらけ。全身に力が入る。現地の人に見られているかな?ひったくりに狙われないかな?
ものすごいクラクション。うるさいしほこりっぽい。信号は誰も守らない。何だか暴走族って、こんなふうに走っているのだろうか?と、暴走族の視点になった気分で、リンさんの肩ごしに後方へ流れる街をみて、暑い日差しとぬるい風を感じている。
日本語学校に着く。上級クラス。他に4人の生徒がいて、ベトナム人の先生がいる。トヨタで働くために勉強中の女性がいた。まだ若い。20代前半くらいだろう。しっかりしている。
日本人の先生は、資格を持っていないが、ここへ来たら採用されたのだそうだ。校長らしい方も日本人だった。
皆爽やかで、学ぶことを楽しんでいる感じだった。上級クラスだけあって、比較的スムーズにコミュニケーションできる。それにしても、ベトナムの女性はおしゃれだ。ステイ先の2人の娘さんたちもおしゃれだが、街ゆく人も、日本語を学んでいる生徒さんたちもおしゃれ。
ひったくり、スリ対策として、日本人と悟られないようにとTシャツとジーパン、リュックサックしか持って来なかった私が、一番おしゃれから程遠い格好をしている。ちょっとベトナムを誤解していた。
授業が終わって、またバイクに乗って帰る。ラッシュアワーだ。ものすごい数のバイク、バイク、バイク。そしてひっきりなしにあちこちから聞こえるクラクション、クラクション、クラクション。。。神経を使ったのだろう。帰宅して食事が終わったら、あっという間に眠ってしまったzzz。
2005.
11.
14
本日より2週間、ベトナムへ行ってきます。
これは半年ほど前からの構想でした。
現地の教育現場や子どもたちに触れて来たいと思っています。
なぜベトナムなのか?
これは、直感です。なぜか惹かれる地です。
ベトナム語はとっても難しいらしく、本を見て発音しても
「私、日本語は分かりません」と、言われてしまうそうです。。。
したがって、言語によらないコミュニケーションでどこまで意思疎通できるか?のチャレンジでもあります。
コーチングやNLPを学ぶ過程で、コミュニケーションは言葉ではないことを、十分に体験しました。
それを実際に言葉が通じない人の中に入って行って、体験してきます。
帰ってきて、いろいろな気づきをシェアしたいと思います。
しばらくこのページはアップできないかもしれませんが、28日に無事に帰国できれば、ここでご報告できることと思います。
今の気持ちは、
しずかなわくわくに満たされています。
しばらくご連絡できない皆様、
いっぱいのエネルギーに満ちて帰ってきます。それまでどうか少々お待ち下さい。
行ってきます。
2005.
11.
13
昨日、今日とNLPマスタープラクティショナーを受講しました。
昨日は、相手の方の持ってこられた課題を伺い、それに見合ったスキルを選択し、クライアントの方にNLPによるアプローチを実践する、ということをしました。
そのためにまとめたスキル一覧が、とても役立ったのです。こうすることでようやくこれまでのNLPの学びを俯瞰でき、NLPerとしての自覚が高まった次第です。
普段は考えずに、直感的にコーチングセッションで投入していますが、こうして改めて学びを振り返ると、普段見落としているけれど活用できるものが多くあることが分かりました。
そして、実際のセッション。学んだ時とは違います。シナリオどおりに行かないのが人間です。そこが人間のいいところですが。
違う展開になったから、このまま進めてはクライアント役の方にとって効果がないのかな?というつぶやきが出ました。
現場体験をたくさん積みたいと思いました。
全身全霊で私のためにセッションしてくれた仲間、一緒にどうしたらいいだろうね?と知恵を出し合った仲間。苦しさをシェアしてくれた仲間。。深いところで信頼関係ができていることを改めて実感しました。
言葉とか理屈ではなくて。
そして今日。。。
「パーツパーティ」という新たなワーク体験をしました。
いい体験でした。
生まれる前の源までさかのぼり、そこを体験してまた現在まで戻り、更にそれを未来まで展開して行く。。。
「潜在意識には否定語は存在しない」
「すべてのことには肯定的意図がある」
とはこういうことなのね。。。
と、体験を通して、潜在意識には善しかないことを実感できました。
そして、過去から、なつかしい人のことを教えられました。
未来から、とってもいい言葉をもらいました。
2005.
11.
11
絵本の専門店に行ったところ、求人が出ていました。
20歳代前半のころから、こんなところで働きたい!と思っていたのです。
以前も一回、求人が出ていたことが在りました。
当時は、勤めの仕事を辞める踏ん切りがつかず、やっとの思いでその願いを押さえつけて、我慢しました。
未だに、そのお店で働きたいなという気持ちはあります。
本がたくさんある所にいるのが好きなのですが、更に、絵本ばかりの空間にいられると、豊富な色づかいがされているため、色の効果からも元気でいられる上、子どものこころで過ごすことができて、いいですね。
昨日は余り時間がなかったのですが、何となく、絵本屋に求人の貼り紙がされているような気がしたので、立ち寄りました。
案の定、求人の貼り紙が出ていました!(なかなか直感がよく働きました)
早速お店の方に声をかけました。
希望出勤日等がかみ合わず、残念ですが、絵本屋で店員となることはできませんでした。
しかし、いつか機会をつくって、何らかの形で仕事させていただきたいです。
絵本は無限の力を持っていると思います。ストーリーが省略されているがゆえに、読者のそれぞれの経験に照応し、それぞれのこころに深く入り、胸を打ったり、忘れられないあたたかさとなって残ったり、改めて考えさせられたり。。。さまざまな機会をわたしたちに与えてくれます。
店員にならなくとも、絵本とは関わって行きます。
20歳代前半のころから、こんなところで働きたい!と思っていたのです。
以前も一回、求人が出ていたことが在りました。
当時は、勤めの仕事を辞める踏ん切りがつかず、やっとの思いでその願いを押さえつけて、我慢しました。
未だに、そのお店で働きたいなという気持ちはあります。
本がたくさんある所にいるのが好きなのですが、更に、絵本ばかりの空間にいられると、豊富な色づかいがされているため、色の効果からも元気でいられる上、子どものこころで過ごすことができて、いいですね。
昨日は余り時間がなかったのですが、何となく、絵本屋に求人の貼り紙がされているような気がしたので、立ち寄りました。
案の定、求人の貼り紙が出ていました!(なかなか直感がよく働きました)
早速お店の方に声をかけました。
希望出勤日等がかみ合わず、残念ですが、絵本屋で店員となることはできませんでした。
しかし、いつか機会をつくって、何らかの形で仕事させていただきたいです。
絵本は無限の力を持っていると思います。ストーリーが省略されているがゆえに、読者のそれぞれの経験に照応し、それぞれのこころに深く入り、胸を打ったり、忘れられないあたたかさとなって残ったり、改めて考えさせられたり。。。さまざまな機会をわたしたちに与えてくれます。
店員にならなくとも、絵本とは関わって行きます。
2005.
11.
10

久しぶりに、大好きな絵本屋に立ち寄りました。
今日は、マックス・ルケードの『たいせつなきみ』を紹介します。
木の小人たちが暮らしている町でのお話です。
その町では、ほかの小人たちに、金の星のシールか、灰色のだめじるしシールを貼ることばかりしていました。
滑らかな木でできていて、ペンキもきれいに塗られているかわいい小人たちや、才能のある小人は、ほかの小人たちから、いつも金色のシールがもらえました。
でも、どじをしたり、ペンキがはがれてしまった小人たちは灰色のだめシールばかり貼られてしまいます。
主人公のパンチネロは、だめシールばかり貼られていました。
自分に自信を失って、人前に出るのさえ嫌になっていました。
小人を作った彫刻家は、そんなパンチネロに、たいせつな存在であることを伝えます。
「シールがくっつくようにしていたのは、おまえじしんなんだよ
どんなシールがもらえるかってことを 気にしていると
シールのほうもおまえに くっついてくるんだ
おまえがわたしの あいをしんじたら シールなんて どうでもよくなるんだよ」
なかなか、この後の台詞も素敵で、思わず目頭が熱くなります。
同じ作者の、2作目、3作目も、現代に生きるわたしたちの心をファンタジーに包んだ比喩にして、ストレートに届けてくれる、するどくもあり、やさしくもある作品です。
2005.
11.
09
何と昨日は、新たに出会った方のRASと私のRASが出会って、なかなかいい展開になりました。
RASとは、(「ラス」と呼びます)人間の脳の中にある「脳幹網様体賦活系」のことをいい、脳の活性化ネットワークシステムと言われます。
「五感を通して自分に入ってくる情報をチェックして、個人的に価値がある、または生命に対して脅威となるデータや情報だけを通すフィルターのような仕組みをいう」(TPI JAPAN IIE研修テキストより)とあります。
真実と思っていることを健全に保とうとする働きをするのです。自動的にその状態を実現しようとする働きがあります。
ということは、
なりたい未来をまさに真実であるかのように自分に言い聞かせれば、
RASがその状態へ自分を導いてくれるということになりますよね。
潜在意識の中にインプットされさえすれば、自動的にRASがそれに必要な情報をキャッチするのです。
で、昨日は、出会った方が私に声を掛けてくださって、職業をおっしゃったときに、
「あ!それはそれは。わたしはあなたの業界のことで、こういう商品があったらとってもいいと思ってるんですよね~。どうですか?ぜひ作ってくださいよー。すごく今の世の中、ニーズがあると思うんですよねー。こんなのがあったら、私も絶対買います。」
と、数日前に明確になった欲しい商品について語ったのです。
すると、相手の方も、たいそう喜ばれ、
「!!それは、いいことを聞きました!!ちょうどある商品についてどうしようかと思案していたところでした。ぴったりの活用案です!早速動きますよ。いま、すごい来てますよ。それ、すごくいいです。あなたに声を掛けて良かったー!!」
という展開になりました。
お互いのニーズがぴったり合いました。
明確に頭の中にゴールを描いて潜在意識に落してあれば、突然思いも掛けないところですばらしいアイデアにであったり、すばらしい出会いに恵まれたり、夢を実行してくれる人に出会ったりするのですよね。
そろそろ、久しぶりにTPI-IIE研修を開催しようかと思った次第です。
2005.
11.
08
ブログについて思案しましたが、このブログはそのままの私でOK。と、自分自身にOKを出しました。
「自然体」というテーマで「木もれ陽の中にいる」というタイトルなんですものね。
実は、タイトル変えちゃうかもよ。皆さんびっくりしないでね!というご案内でもあったのです。
「で、あなたはどうしたいの?」
と、(コーチングでよく使われる質問ですが)自分の内なる声がしていたように思いました。
在りたいように在る、いたいように居る。
それだからこその、居心地の良さもあると思いました。
そんな居心地の良さを感じながら、これからも書き綴っていきたいです。
皆様、貴重なご意見をありがとうございました。
2005.
11.
07
そろそろブログを見直そうと考えています。
まず、内容を見直しました。
次に、タイトルを変えようと思っています。
今のままですと、何が書いてあるのか分かりにくいので、サブタイトルをつけてみました。
ブログの引越し、というものも視野に入れつつ、検討中です。
皆様、このタイトルについてどう思われますか?
ご意見、ご感想をお待ちしております。
2005.
11.
06
ソースアドバンスでは、「パートナーの車輪」と「収入の車輪」という、2つの「車輪」を作りました。(詳細は、マイク・マクナス著『ソース』参照)
自分が価値を置いているものを10個に絞込み、円を10等分した中に書き込みます。
「円」というのがミソだなあ、と思いました。
箇条書きとは全く違う効果が出ます。
脳は単純化を好むので、日常生活では、つい、二者択一や三択をしてしまっていることに改めて気づきました。
円の上に書き出すと、自分の中で価値のあるものたちが、とってもバランスよく調和いるのだと感じ、安心しました。
特に「収入の車輪」。仕事のことですね。
あちらを立てればこちらが立たず、ではなく、同時に満たすこともできそうな気がしています。
ああ、これらを満たすものをしていけばいいんだなあ~。
と、
思うと行動に迷いがなくなりますね。。。
またまた、猪突猛進に拍車がかかりそうです。。。。。
2005.
11.
05
八ヶ岳の麓、小淵沢でソースワークショップのアドバンスコースを受講しています。
今日の最後は、コラージュを作りました。
望月俊孝さんの『幸せな宝地図であなたの夢がかなう』に書かれている宝地図のようなものです。
自分の好きなものの写真を集めて貼って行くのですから、楽しくて、楽しくて!子どもになって没頭しました。
出来上がったものを他の受講メンバーを見せあうと、それぞれの個性がよく出ていました。
私のコラージュには自然がいっぱい、と言われ、それもそうだなあ、と自分の特徴に気づきました。
不思議なことに毎回、安藤さんのソースワークショップで出会う方々とは、これからやって行きたいことや、現在興味のあることについて、共通項がたくさんあるんですよね。
出来上がったコラージュを眺めながら、とてもご機嫌な気持ちです。
作ったことのある方も多いかもしれませんが、まだの方、ぜひ自分の大好きなもの、これからこうなりたいと思う夢の写真を集めて、大きな用紙に貼って見てください。
毎日見ていたら、必ず叶うと思います。
私は、携帯電話の待ちうけ画面に、安藤さんのお宅=ワークショップ会場の写真を使っていたら、その後2回も訪れることができました。
イギリスのストーンヘンジに訳もなく惹かれ、部屋に貼っていたら、ある日訪れることが出来ました。
夢の宝地図を作ったことのある方へ。
あなたのどんな夢が叶いましたか?
これから作る方へ。
あなたは、どのような夢を実現させたいですか?
2005.
11.
04
清里に来ています。
夜、胡弓のコンサートを聞きました。
星空がきれいです。久しぶりに、たくさんの星を見ました。3週間前に来た時には、月明かりであまり見えなかったので、今日は存分に楽しみました。
ペガサス座、オリオン座、アンドロメダ座、ペルセウス座、牡牛座、カシオペア座、三角座、牡羊座…。
ああ、もっと見ていたい…と思いましたが、何分にも女一人の旅ですので、適度な時間で切り上げました。
紅葉で真っ赤に燃える山々を、車窓から眺めながらの旅でした。
明日からソースのアドバンスを受講しますが、ソースで言われるところの、「わくわく」を実行しているところです。
明日は紅葉の森を散策します。
夜、胡弓のコンサートを聞きました。
星空がきれいです。久しぶりに、たくさんの星を見ました。3週間前に来た時には、月明かりであまり見えなかったので、今日は存分に楽しみました。
ペガサス座、オリオン座、アンドロメダ座、ペルセウス座、牡牛座、カシオペア座、三角座、牡羊座…。
ああ、もっと見ていたい…と思いましたが、何分にも女一人の旅ですので、適度な時間で切り上げました。
紅葉で真っ赤に燃える山々を、車窓から眺めながらの旅でした。
明日からソースのアドバンスを受講しますが、ソースで言われるところの、「わくわく」を実行しているところです。
明日は紅葉の森を散策します。
2005.
11.
03

私が勤めを辞めて、フリーで仕事をぼちぼちと始めていると、その生き方についていろいろなコメントを頂きます。
「近くにこういう人がいると、励みになるし、活気付きます。こちらまで元気がでますよ」
「だいたいずっと勤められるOLを辞めてしまうなんて、濃い生き方だよね」
「人生二毛作のモデルケースになりますよね。ウチの会社の女性にも
「こういう生き方もあるんだよ~」と伝えたいと思います。」
「一体何を今やっているの?大丈夫なわけ?食べて行けるの?」
などなど。
それぞれコメントを下さった方の価値観、人生観が反映されていて、興味深いですよね。
私はどんな価値観も存在していていいと思いますから、「はーっ」と聴いています。
しかし私はこのように生きる人なのです。仕方在りません。じっと勤め人を続けていられない性分だった、そして外の世界に出て、直接世の中と接していたかった、それだけのことです。
例え勤め人であるとしても、自分で生き方を選択している人。
自分の力で生きることを決めて、独立した人。
大きな使命を持って挑み続けている人。
どのような立場であれ、自分の人生に挑戦し続けている人。
そう言う人を見ると、心から応援したくなります。
一人一人、皆違うんですから。
一人一人、全然違う生き方があるのですから。
どんなルートもあっていい。
どんなときにも大切に「生きている」実感を持っていたいです。
2005.
11.
02
迷っていることがありました。
何ヶ月も前から行きたいと思い、予約、手配していた、ベトナムのストリートチルドレン施設でのボランティアと、その後で入った仕事、どちらを優先させるべきか?
かなり悶々と悩みました。
4年間の付き合いになるコーチング仲間たちに会いました。
この話を持ちかけて見ると・・・
「もう葉月の中に答え出てるじゃん。」
「顔に書いてあるよ」
と、言われました。
あ、、そうか。
私の中に、、、答え、あったね、、
ベトナムに行きたいんです。何かとても行きたい気持ちが数ヶ月前からあります。
そして、もう、そちらに行くと、私の中では決めていました。そのことを、私自身が気づいていませんでした。
このあたりが、コーチもコーチをつけるという由縁ですよね。。。
コーチも人間ですから、自分のことが盲点になっていてみえないことがあります。。
自分が心からしたいことをして、いきいきと生きることで、伝えられるものがあると思うから、存分に100%ベトナムでの時間を堪能してきます。
そうして、その後の仕事の場で活かして行きたいと思いました。
2005.
11.
01

勤めを辞めてから、鬱屈した「気」を感じない、のびのびと自分らしくいられる人間関係の中にいましたが、今日はたまたま、ちょっといじわるな関わりのある世界に踏み込んでしまいました。
中村裕弓さんの『100人の村 争わない コミュニケーション』を読んでいます。メールで世界的に広まった「100人の村」というストーリー(のちに『世界がもし100人の村だったら』という著書に発展します)を日本語に初めて訳した方の、著書です。
改めて、現代日本に生きることが、いかに恵まれた環境であるか、思い知らされました。
中村裕弓さんの訳された「100人の村」の最後のフレーズに、心を動かされましたので引用します。
お金に執着することなく 喜んで働きましょう
かつて傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとく 自由に踊りましょう
誰も聞いていないかのごとく のびやかに歌いましょう
あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう
中でもわたしは、「誰も見ていないかのごとく、自由に踊りましょう」に心動かされました。まだ、人の目を気にしている行動があるなあ、と思います。
恵まれた環境の中で、私たち一人一人が、精一杯幸せに生きること、そのことこそが世界の人々に対する最も誠実な関わりなのだと受け止めました。
どんなことがあっても、自分の心を、自分自身で満たしてあげられる私で、いたいと思いました。